第六天榊神社(聰本宮)

2014年5月23日

第六天榊神社
景行天皇40年、日本武尊が東国鎮定のため下向した際、皇祖二柱の神を鎮祭したのを創建とする。
主に関東圏で祀られる第六天系神社の総本宮とされる。

御祭神 天神第六代坐榊皇大御神 面足尊・惶根尊
社格 旧村社
鎮座地 東京都台東区蔵前1-4-3
最寄駅 JR総武線 浅草橋駅
都営地下鉄浅草線 蔵前駅・浅草橋駅
URL http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3223

御由緒

110(景行天皇40)年、日本武尊が東国鎮定のため下向した際、東に筑波山を、西に霊峰富士を仰ぎ見、南に内海の清き白浪が打ち寄せ、北に広大な林野が茂る鳥越丘上の地を良き斎庭と定め、国土創成の祖神である皇祖二柱の大御神を鎮祭し、白銅の宝鏡を納め東国の平安を祈願し、国家鎮護の神宮として創建したと伝えられる。
第六天神宮と称され、公武衆庶の崇敬が篤かったという。
江戸時代には、江戸城築城などに伴う用土確保のため、当社が鎮座していた鳥越丘を切り崩すこととなり、1719(享保4)年浅草不唱小名(現・柳橋1丁目)へ遷座した。
この時同所に鎮座していた鳥越三所明神のうち鳥越神社は遷座せず、熱田神社は山谷へ遷った。
以後、幕府浅草御蔵の総鎮守として、将軍家より当時日本一といわれた大御神輿の奉納もあり、格別に篤い尊崇を受けていたという。
明治に入ると新政府による神仏分離令を受け、1873(明治6)年2月社号を「榊神社」と改めた。
1928(昭和3)年、旧帝国図書館の前身・浅草文庫跡地であった現社地へ再遷座している。
1945(昭和20)年3月10日の空襲により社殿はじめ境内諸施設が戦禍を被った。
終戦後、1946(昭和21)年より十有余年の歳月をかけ復元・諸整備が進められ、1960(昭和35)年には御鎮座一千八百五十年式年大祭を斎行した。

境内紹介

第六天榊神社 鳥居と社号標第六天榊神社 手水舎
第六天榊神社 神楽殿第六天榊神社 井戸
第六天榊神社 西参道鳥居第六天榊神社 神輿庫
交通機関によるアクセスとしてはJR浅草橋駅東口、浅草線であればA6出口が最寄り。
各出口から江戸通りを浅草駅方向へ北進し、須賀橋交差点で右折する。
ほどなく当社の玉垣と鳥居が左手に見えてくる。
台東区には非常に多くの社寺が存在するが、この約400mほどの道のりの間だけでも、浅草橋駅のそばに銀杏岡八幡神社、江戸通り沿いには須賀神社などが鎮座する。
第六天榊神社 拝殿前狛犬 吽第六天榊神社 拝殿前狛犬 阿
第六天榊神社 拝殿第六天榊神社 本殿
街中にあって社叢が豊かなのは、そばを流れる隅田川の恵みであろうか。
木の葉が生い茂った境内は薄暗いほどで、江戸通りの喧騒とは対照的な神さびた空間となっている。

境内社

第六天榊神社 繁昌稲荷神社 鳥居第六天榊神社 繁昌稲荷神社
境内社は4社が鎮座している。
繁昌稲荷神社(倉稲魂命)は神楽殿西側の一角に。
第六天榊神社 七福稲荷神社 鳥居と社号標第六天榊神社 七福稲荷神社
第六天榊神社 豊受神社・事比羅神社第六天榊神社境外摂社 楫取稲荷神社
七福稲荷神社(倉稲魂命)の奥に豊受神社(豊受姫命)・事比羅神社(大己貴命)が合殿で祀られている。
なお、第六天榊神社の200m弱北(蔵前2-2-11)に境外摂社の楫取稲荷神社が鎮座する。
浅草御蔵築造用の石を運んだ船が遠州灘沖で遭難した際、稲荷神の示現を得て無事に江戸まで航海できたことから祀られた。

御朱印

第六天榊神社 御朱印

社殿向かって右奥に社務所兼宮司様宅の建物があるので、そちらでお願いする。
初穂料300円。
「聰本宮第六天」の文字。鶴亀の印も縁起が良くて嬉しい。

第六天榊神社の地図