三圍神社(三囲神社)

2014年9月14日

三圍神社(三囲神社)
御祭神:宇迦御魂之命
社格:旧村社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/13_sumida/13018.html
所在地:東京都墨田区向島2-5-17
最寄駅:都営地下鉄浅草線 本所吾妻橋駅
東武鉄道伊勢崎線 とうきょうスカイツリー駅
御由緒:創建時期等は不明。
社伝によると平安時代初期の僧・弘法大師の勧請によるといい、古くは水田地帯の中に鎮座していたことから田中稲荷と称された。
南北朝時代の文和年間(1352~1355年)、近江国三井寺の僧侶・源慶が荒廃していた社殿の再建に着手した際、壺が出土した。
この壺の中には老翁の神像が収められており、どこからともなく現れた白狐がその神像を三度回って去ったことから、社号を「みめぐり」と称するようになったとされている。
南北朝から江戸時代にかけて戦乱や隅田川築堤の影響による数度の遷座を経て現在地に鎮座している。
1693(元禄6)年、干魃が発生し、これに悩む近隣の農民が当社へ雨乞い祈願を行った。
そこに蕉門第一の高弟で江戸座を開いた俳諧師・宝井其角が門人・白雲と共に参詣に訪れ、
「遊ふ田地(夕立)や 田を見めぐりの神ならば」
(三囲神社の神様が五穀豊穣の神様であるならば、恵みの夕立を降らせて下さい)

と詠み、神前に奉じた翌日には雨が降り、その霊験と其角の名は江戸中に広まったという。
ちなみにこの句は「三囲」と「見巡り」「(降雨の)恵み」の各語が掛けられ、更に五七五の各句頭を繋ぐと「ゆたか」と織り込まれた折句にもなっており、請雨と豊作の祈願が込められた秀逸な一句である。
また、この逸話と同時期の1673(寛文12)年に伊勢商人・三井高利が呉服店「越後屋(後の三越)」を開業しているが、三井家は守護神として当社に篤く信仰を寄せ、社地の拡張や社殿造営を行っている。
守護神とした理由には、其角の雨乞いの霊験、鎮座地が日本橋から東北(鬼門)にあたるため鬼門除けの神とした、三囲の「囲」の字が「井」を囲んでいることから三井を守ると解釈された、等の各説がある。
以後、今日に至るまで三井家・三井財閥(現在の三井グループ)による崇敬・支援が篤い。
三圍神社(三囲神社) 一の鳥居三圍神社(三囲神社) 二の鳥居
三圍神社(三囲神社) 三の鳥居三圍神社(三囲神社) 旧三越池袋店ライオン像
本所・両国方向から延びてきた三ツ目通りと、浅草方向から隅田川に架かる言問橋を渡ってきた国道6号線(水戸街道)が合流する言問橋東交差点が目印。そのすぐそばから北に延びる「見番通り」があり、そこから約200m程進むと当社の社頭が見える。
各駅からは若干長めの徒歩移動である。
参道を進み、二の鳥居を過ぎた辺りに、2009(平成21)年に閉店した三越池袋店からライオン像が移設・奉納されている。
三圍神社(三囲神社) 狛犬 (1)三圍神社(三囲神社) 狛犬 (2)
三圍神社(三囲神社) 眷属狐 (1)三圍神社(三囲神社) 眷属狐 (2)
1745(延享2)年奉納の狛犬と、柔和な表情が珍しい1802(享保2)年奉納の石造神狐。
共に墨田区登録有形民俗文化財。
境内にはこの他にも歴史ある石碑などが非常に多い。
三圍神社(三囲神社) 手水舎三圍神社(三囲神社) 社殿
社殿は安政大地震後の1862(文久2)年に再建され、1884(明治17)年に大修膳が行われたものが現存しており、墨田区の登録有形文化財となっている。
三圍神社(三囲神社) 大国神・恵比寿神社三圍神社(三囲神社) 境内社群
社殿から左手には多数の境内社が鎮座する。
月読社(大国神・恵比寿神社)は元々越後屋にて祀られていたのを遷したそうだ。
三圍神社(三囲神社) 白狐祠 (1)三圍神社(三囲神社) 白狐祠 (2)
三圍神社(三囲神社) 老翁老嫗像三圍神社(三囲神社) 三角石鳥居
更に境内を奥へ進むと二つの白狐祠と、それを守っていた老夫婦の徳を称える老翁老嫗像がある。
また、三つの鳥居を正三角形に組んだ形式の、大変珍しい三角石鳥居も。
原形は京都・太秦の木嶋神社内にあり、模造して三井家邸内に建てられていたのを移築したという。
鳥居を三つ組んであるだけで、こうも不思議な力を感じるものなのか。
三圍神社(三囲神社) 末社 (1)三圍神社(三囲神社) 末社 (2)
老翁老嫗像を挟むように鎮座する末社二社(社号不明)。
三圍神社(三囲神社)顕名霊社三圍神社(三囲神社) 富士見稲荷社
境内最奥には三井家祖先を祀る顕名霊社。1874(明治7)年に建立され1995(平成7)年に当地に移築されたもの。
顕名霊社の手前には、これを護るようにして富士見稲荷社が鎮まる。
三圍神社(三囲神社) 御朱印
三圍神社(三囲神社) 御朱印。初穂料300円。
社殿右手の社務所にて受けられる。
参拝したのは5月5日だったため、日付が端午の節句となっている。