代田八幡神社
御祭神:応神天皇
社格:旧村社
URL:—
所在地:東京都世田谷区代田3-57-1
最寄駅:小田急小田原線 世田谷代田駅
御由緒:1590(天正18)年の小田原征伐により後北条氏が滅ぼされ、その配下であった世田谷城主・吉良氏は実相院(現・弦巻3-29-6)に篭居し、吉良氏の家臣七家(清水・秋元・齋田・斉田・柳下・山田・大場の代田七人衆)が代田本屋敷(現・代田2-17-3の代永山圓乗院)付近に土着、帰農した。
翌1591(天正19)年、この代田七人衆により宇佐八幡宮(現・世田谷八幡宮)が勧請されたのが創祀である。
前述の圓乗院が別当となり、1681(天和元)年に同寺二代法印・定賢らによって現在地付近に本格的な社殿が造営された。
その後、1735(享保20)年には六代法印・有順を導師として遷宮祭が行われている。
新編武蔵風土記稿には、元文年中(1736~1740年)に修繕が行われたことを示す棟札についてや、末社として春日社・神明社・夷子社・大黒社・辨天天神合社が鎮座していたことなどが記されている。
1873(明治6)年には社地内の樹木を売却し、石垣・大鳥居・高麗狛・燈籠・手水などを新たに整備、翌1874(明治7)年に村社に列した。
さらに1879(明治12)年には神楽殿を新築したが、翌1880(明治13)年に暴風雨で大きく被災、1887(明治20)年になってようやく再建されている。
1941(昭和16)年、付属社であった大原稲荷神社が村社の指定を受け独立した。
1945(昭和20)年の空襲により社殿、神楽殿、社務所など全てが灰燼に帰してしまい、戦後の1949(昭和24)年に社殿が、1960(昭和35)年に神楽殿と参集殿が再建された。
またこの頃環状7号線整備に伴って、社地の東側半分が用地として収用されている。
2011(平成23)年に鎮座420年祭が斉行され、拝殿が造替されている。
世田谷代田駅を出て西にまっすぐ進むとほどなく環状七号線上に架かる陸橋があるが、渡らずに左折し坂を下る。
渡ってしまうと環七に降りられず、社地を眺めながら戻るはめになるので注意。
坂を下りてくると環状七号線に合流する付近に歩道橋があるので、これを渡るのが最短。
社殿近くまで来ると、面白いことに新旧二つの手水舎が並べられている。
古い方の水盤には1762(宝暦12)年の文字が刻まれている。
拝殿前の狛犬が真っ黒なのは空襲による火災の爪痕か。
それにしては剥離がなく状態はよいのだが。
代田八幡神社の拝殿には大きな特徴がある。
流れ屋根の上に神明造の屋根が乗せられているのである。
不思議に思い宮司さんにお聞きしたところ、改築時に神明造の旧拝殿を一部残したということだった。
ちなみに新拝殿の木部は旧拝殿に合わせた色合いに塗装したそうだ。
また、拝殿の正面には石段があり1785(天明5)年造の明神鳥居が一基置かれている。
世田谷区内では喜多見氷川神社に次いで古く、区指定有形文化財となっている。
なお、境内社は本殿脇に御嶽社が一社鎮座している。
代田八幡神社 御朱印。初穂料300円。
社殿向かって左手の社務所にて受けられる。
ちょうど殿内を清掃中の折にお邪魔してしまったが、快くご対応いただけた。
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