千葉神社(妙見本宮)

2015年10月9日


御祭神:北辰妙見尊星王(天之御中主大神)
相殿神:経津主命・日本武尊命
社格:旧県社
URL:http://www.chibajinja.com/
所在地:千葉県千葉市中央区院内1-16-1
最寄駅:JR総武線・総武線快速・外房線・内房線・成田線 千葉駅
京成電鉄千葉線 京成千葉駅
千葉内陸バス 西千葉線 院内町停留所
御由緒:下総の豪族であり千葉氏の祖となった平良文は、妙見菩薩の加護を受け戦勝を重ねた。
以降、一族は妙見菩薩を守護神として信仰し、良文の孫である平忠常は、当地に妙見菩薩の御分霊を祀ったとされる。
さらに忠常の次男・覚算大僧正により伽藍整備がなされ、1000(長保2)年の旧暦9月13日には「北斗山金剛授寺」が開山された。
1126(大治元)年には、千葉氏の実質的な初代当主である千葉常重によって千葉城から御本霊が遷座・合祀され、妙見本宮として尊崇を集めるところとなった。
千葉宗家のみならず千葉氏一族による篤い信仰があったほか、源頼朝が参詣し自筆の願文や太刀・武具などを奉納し手厚く保護した。
その後、江戸に入府した徳川家康が朱印地永代二百石を寄進した他、十万石の格式を与えており、代々将軍家の保護を受けた。
江戸時代には「北斗山金剛授寺尊光院」と称する真言宗の寺院となっていたが、明治初頭の「神仏分離令」に伴い、祭神を(妙見菩薩と同一視されていた)天之御中主大神に改め「千葉神社」となった。
これは御本霊合祀の翌年である1127(大治2)年より連綿と続いた神輿渡御を残す目的があったとされる。
1945(昭和20)年7月7日の空襲により、現存する手水舎を残し一切を焼失、1954(昭和29)年に本殿が再建された。
1990(平成2)年には「平成の大造営」が行われ、上下に二つの拝殿を有する重層社殿が誕生した。


千葉駅東口・京成千葉駅から駅前大通りへ。
葭川を渡ったところで、中央公園を右手に見ながらさらに東へ300mほど進むと楼門型の分霊社・尊星殿が見えてくる。
鳥居は国道126号線に面して建っており、そのすぐ脇には1929(昭和4)年に建立された獅子児鍛錬像が一対。



社殿は一階の「金剛殿」、二階「北斗殿」の重層である。
どちらも常時参拝可能だが、北斗殿では古伝に則った拝礼形式、となえことばが記されている。

1998(平成10)年に造営された尊星殿は、楼門と社殿を兼ねた複合建築物である。
神社建築では類をみない形式のこの建物は、戦災で焼失した山門の再建の意もあるという。

千葉神社には摂社として、1182(寿永元)年に勧請された千葉天神が鎮座している。
社殿(祈祷殿)は千葉神社の旧本殿である。
また、末社が非常に多く、14社を数える。(他境外末社一社あり)

「妙見延寿の井」では御神水のお水取りが可能。
この御神水は背後にある「妙見池」の水源にもなっている。

千葉神社 御朱印帳。初穂料1,500円。
天の川をラメで表現したデザインは秀逸で、非常に人気がある。

千葉神社、そして摂社・千葉天神の御朱印。初穂料は各300円。
拝殿向かって右手の授与所で拝受可能である。

1月1日より2月3日までは、初詣限定御朱印(押印・書き置き形式のみの授与)となる。
なお、この期間内は墨書きでの御朱印対応は行われない。