酒列磯前神社

2016年8月13日


御祭神:少彦名命
配祀神:大名持命
社格:延喜式内名神大社・旧国幣中社・別表神社
所在地:茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2
最寄駅:ひたちなか海浜鉄道湊線 磯崎駅
URL:http://sakatura.org/
御由緒:南に7kmほど離れた大洗磯前神社と二社でひとつの信仰形態をもつ。
このため鎮座の由緒は同一である。
879(元慶3)年に成立した国史「日本文徳天皇実録」に、御祭神の降臨と創建当時の経緯について以下のような記述がある。
856(斉衡3)年12月29日、常陸国鹿島郡大洗磯前の地において製塩を営む者が、夜間海の上空が光っているのを見た。
翌朝、海辺に高さ一尺ばかりのふたつの怪石があり、さらに翌日には石の左右に20余りの小石が集まっていた。
石は不思議な彩色をしており、僧侶の姿に似ていたが耳と目がなかった。
里人の一人に神懸りし「我は大奈母知少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、当社が創建された。
857(天安元)年8月7日には大洗磯前神社ととも官社に列せられ、同年10月15日には両社ともに「薬師菩薩明神」の神号が贈られている。
平安時代中期に編纂された「延喜式神名帳」には「常陸国那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社」と記載され、名神大社に列せられている。
鎌倉時代初頭の1191(建久2)年、源頼朝は神馬30頭および神領地を寄進、社殿の修繕を行った。
1332(元弘2)年には常陸守護・佐竹貞義も御神田を寄進し、社殿の修理を行っている。
室町・戦国期には1422(応永29)年に水戸城主・江戸道房が、弘治元(1555)年には江戸忠道、1580(天正8)年の江戸重道と、常陸江戸氏が本殿などの改築や修繕を担った。
創建時以来、現在地より西側の岬上に鎮座し領主らの崇敬・保護を受けていた当社だが、度重なる戦乱や領主入れ替わりの影響を受け、一時急激に衰退した。
水戸藩2代藩主・徳川光圀は大洗と酒列両社の荒廃を憂慮し、再興に着手する。
1702(元禄15)年、光圀の遺志を継いだ3代藩主・綱條により新たな社殿の造営および境内整備が行われ、現在地への遷宮にいたった。
1885(明治18)年4月には国幣中社に指定され、戦後は神社本庁の発足とともに別表神社となっている。


ひたちなか海浜鉄道の磯崎駅から約700mほど北、磯崎港近くに鎮座する。
阿字ヶ浦海水浴場や国営ひたち海浜公園といったレジャースポットが至近に位置する。
社頭に向かって左手にある横断歩道の先に目を向けると、草むらに建つ白い石標を見つけられる。
江戸時代に遷されるまで鎮座していた旧社地を示す証だ。
また、1791(寛政3)年に水戸藩第6代藩主・徳川治保が建てた東屋「比観亭」の跡地でもある。


約300mの長い参道は、樹齢300年超のヤブツバキの古木やタブノキ、スダジイ、ヒサカキなどの常緑広葉樹を中心とした社叢に囲まれている。
境内周辺と合わせ38,837㎡(約11748坪)という広大な自然林で、茨城県の天然記念物に指定されている。


二の鳥居を抜けると左手に末社群。
向かって左から稲荷神社(祭神:倉稲魂命)・天満宮(祭神:菅原道真公)・事比羅神社(祭神:大物主命)・冨士神社(祭神:木花咲耶媛命)・水神社(祭神:罔象女命)。
そのそばには水戸斉昭公お腰かけの石。
1667(寛文7)年から1929(昭和4)年まで、神輿渡御と競馬神事によって構成される「ヤンサマチ」という祭りが行われていた。
この祭りには代々の水戸藩主が見物に訪れ、その際に腰掛けたという石を移してきたもの。
神亀像は宝くじの高額当選者が奉納したものだそうだ。


現社殿は1934(昭和9)年から1937(昭和12)年にかけ、国費により改築されており、元禄社殿の軒廻りの部分彫刻が転用されている。
拝殿唐破風部分、兎毛通しの「リスとブドウ」の彫刻は左甚五郎作といわれている。
社殿の造りは大洗とよく似ているが、雰囲気は異なり非常に穏やか。
スクナヒコナをオオナムチの和魂と見る説もあるが、ここで受ける印象からはそれも一理あるように思う。
(※「日本文徳天皇実録」には降臨した神について「大奈母知少比古奈命」と一柱のように記されていることを書き添えておく。)

社殿向かって左側奥、本殿の北隣付近には酒列鎮霊社が祀られている。
祭神は日露戦争から大東亜戦争までの戦没者506柱。


酒列磯前神社 御朱印。初穂料300円。
印刷・書き置きのみの授与で、日付も墨書きされない。
社殿向かって左手の授与所にて受けられる。