大洗磯前神社

2016年8月14日

大洗磯前神社
御祭神:大己貴命
配祀神:少彦名命
社格:延喜式内名神大社・旧国幣中社・別表神社
所在地:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
最寄駅:鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 大洗駅
茨城交通バス 大洗神社前停留所
大洗町循環バス海遊号アクアワールドルート 大洗磯前神社下停留所
URL:http://oarai-isosakijinja.or.jp/
御由緒:北に7kmほど離れた酒列磯前神社と二社でひとつの信仰形態をもつ。
このため鎮座の由緒は同一である。
879(元慶3)年に成立した国史「日本文徳天皇実録」に、御祭神の降臨と創建当時の経緯について以下のような記述がある。
856(斉衡3)年12月29日、常陸国鹿島郡大洗磯前の地において製塩を営む者が、夜間海の上空が光っているのを見た。
翌朝、海辺に高さ一尺ばかりのふたつの怪石があり、さらに翌日には石の左右に20余りの小石が集まっていた。
石は不思議な彩色をしており、僧侶の姿に似ていたが耳と目がなかった。
里人の一人に神懸りし「我は大奈母知少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、当社が創建された。
857(天安元)年8月7日には酒列磯前神社ととも官社に列せられ、同年10月15日には両社ともに「薬師菩薩明神」の神号が贈られている。
平安時代中期に編纂された「延喜式神名帳」には「常陸国鹿嶋郡 大洗礒前薬師菩薩明神社」と記載され、名神大社に列せられている。
戦国時代の永禄年間(1558~1570年)、常陸国内では佐竹一族や小田氏治らが所領争いを繰り広げ、その兵火に罹り社殿以下の諸建造物が灰燼に帰し、荒廃した。
江戸時代に入ると、当社の荒廃を嘆いた水戸藩2代藩主・徳川光圀により1690(元禄3)年に御造営の起工がなされた。
さらに3代藩主・綱條の代となった1730(享保15)年に現在の本殿・拝殿・随神門が完成し、還座再興されている。
本殿・拝殿は茨城県、随神門は大洗町の文化財に指定され、江戸初期の建築様式を今に伝える。
1874(明治7)年9月、近代社格制度における県社に、さらに1885(明治18)年4月には国幣中社に指定された。
戦後は神社本庁の発足とともに別表神社となっている。
大洗磯前神社 神磯鳥居 夜明け前大洗磯前神社 神磯顕彰碑
大洗磯前神社 日の出後大洗磯前神社 神磯鳥居 波しぶき
境内について綴る前に、社地前の海岸にある神磯の鳥居について触れておきたい。
御降臨地とされる海岸で、岩礁上の石鳥居は1956(昭和31)年に建立された。
有数の日の出スポットとしても名高く、かつて徳川光圀はその景観を称え「あらいその 岩にくだけて 散る月を 一つになして かへる月かな」と詠んでいる。
美しい眺めとは対照的に、激しく打ちつける波しぶきがそれ以上近づくことを許さない厳しさを併せ持つ、気高い聖域である。
大洗磯前神社 二の鳥居大洗磯前神社 社号標
海岸の西側、台地の突端が鎮座地。
表参道の鳥居は二の鳥居で高さ約13m。
社号標には、埋められてはいるものの官幣中社の字が読み取れる。
門前を通る県道108号線(大洗海岸通り)の大洗鳥居下交差点には、高さ約16mの一の鳥居が建っている。
大洗磯前神社 清良神社 鳥居大洗磯前神社 清良神社
大洗磯前神社 神池大洗磯前神社 参道石段
二の鳥居そばには清良神社(小幡城主・小幡宥円命)が鎮座している。
祭神である小幡宥円は小田氏治の家臣で、水戸城主・江戸氏に謀殺された人物。
死後江戸氏を甚だ祟ったため、宥円権現として奉斎された。
清良神社の奥には神池。
かつてこの近辺には眼病を治す霊水が湧く「目晒しの井」があったという。
大洗磯前神社 三の鳥居大洗磯前神社 手水舎
大洗磯前神社 備前焼狛犬 (1)大洗磯前神社 備前焼狛犬 (2)
長い参道石段を上り切ると、1870(明治3)年に奉納された備前焼の狛犬が神域を護っている。
同一人物による奉納だという狛犬が、水戸市・常磐神社本殿裏にもある。
大洗磯前神社 軍艦那珂忠魂碑大洗磯前神社 随神門
そして当社の御分霊が艦内神社として祀られ、1944(昭和19)年にトラック島西方で沈没した帝国海軍の軽巡洋艦・那珂の戦死者を慰霊する忠魂碑。
人気ブラウザゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」に登場する擬人化された那珂は認知度の高いキャラとなっていることから、参拝するユーザーも多い。
随神門は前述のとおり、1730(享保15)年造営で町の指定文化財となっている。
木鼻の彫刻は磯波を緻密に表現しつつ、全体のシルエットで獅子に見せるという非常に凝った細工が施されている。
大洗磯前神社 拝殿大洗磯前神社 かえる像
大洗磯前神社 本殿 (1)大洗磯前神社 本殿 (2)
大洗磯前神社 本殿 (3)大洗磯前神社 本殿 (4)
拝殿は入母屋造で、桁行五間・梁間二間・向拝一間軒唐破風付き。
独立した一間社流造・茅葺屋根の本殿とともに県指定有形文化財で、1974(昭和49)年に随神門や中門透塀などと併せ修理が行われている。
神社建築としての造形美、大きさ以上の迫力、そして放たれる神気に思わず感嘆の声が漏れる。

境内末社とオリジナル御朱印帳ならびに御朱印の紹介は次ページで。