前川神社

2016年2月19日

概要

荒川氾濫による水難から、低地であった当地周辺の守護を祈願して、古くより祀られていたと推測される神社。
勢貴社の随神である獅子頭「狛狗様」があしらわれたオリジナル御朱印帳が頒布されている。

御祭神 主祭神
勢貴大明神(多岐都比売命・多紀理毘売命・狭依毘売命)
相殿神
大日靈尊・猿田彦命・菅原道真公
社格 延喜式内小社(論社)・旧村社
鎮座地 埼玉県川口市前川町3丁目374番地
最寄駅 JR京浜東北線 蕨駅・西川口駅
埼玉高速鉄道線 新井宿駅
国際興業バス 蕨01系統(上根橋循環)天神前停留所
蕨01・蕨01-2・川05・西川07・西川11系統(網代橋循環)前川停留所
URL http://www.maekawajinja.com/

御由緒

創建については、1512(永正9)年の落雷により、社殿とともに縁起等古文書が焼失した為不明。
入間川(現・荒川)の自然堤防上に低地であった付近の水難守護の為に奉斎されたと推測されている。
河川を鎮め、洪水を塞ぎ止める御神徳から、厄災難・障害を塞ぎ(防ぎ)止め、心願を成就させる「塞神(さいじん・ふせぎがみ)」と称されていた。
伝承では、文蔵村(現・さいたま市南区文蔵)の氏神社(十祖神)が洪水の度に前川の不利(きか)ずの堰に漂着し、二度は文蔵村に返したが、三度目はよほど前川に留まりたいのであろうということになり、当社内に奉斎したと伝えられている。
洪水時、堰に漂着した祠の光景が、神自ら堰の一部となって洪水を塞ぎ止めようとする姿に見え、「塞神」の信仰を更に篤くしたという。
1710(宝永7)年に旧別当・東福寺盛覚が記した「縁起」によると、1512(永正9)年の火災で縁起や証文等を焼失した為、神祇管領長上従二位侍従卜部朝臣兼敬(吉田兼敬・吉田神社祠官)より正一位勢貴大明神の宗源宣旨、宗源祝詞を頂戴した旨が記載されており、これを機にそれまで「堰社」「関社」と称していた社号が「勢貴社」に改められたとされている。
また、氏神社(十祖神)は別殿で祀られていたが、社殿の老朽化により宝暦年間(1751~1764年)に勢貴社へ合祀したことが記されている。
「縁起」では延喜式神名帳武蔵国足立郡4座の内「多気比売命(たけひめのみこと)」としているが、同社については桶川市篠津の多氣比賣神社(桶川市篠津58)とする説が有力である。
なお、氷川女體神社(さいたま市緑区宮本2-17-1)も論社のひとつである。
1873(明治6)年4月村社に列せられ、1907(明治40)年には字関下神社、字島在家神明社、山王社を合祀した。
1925(大正14)年に本殿等改築、戦後になり1965(昭和40)年5月15日に社号を前川神社と改称した。

境内紹介



最寄駅からはいずれも3km強あるので、各駅から出ているバスを利用するのがいいだろう。
もっとも近いバス亭「天神前」からすぐの信号で北を向くと、大きくカーブする道路に面した鳥居が見える。
これをくぐるとすぐに末社・持田稲荷(宇迦之御魂大神)が鎮座している。

参道の途中には神楽殿、そして末社・八坂神社。

現社殿自体は鉄筋コンクリート造だが、その内部に木造の内本殿が存在する。
もとの本殿であったが老朽化のため、1925(大正14)年の社殿改築時以来、境内の祖霊社殿として使用されていた。
しかし1977(昭和52)年、社殿を造替する際の調査により安土桃山時代(1573~1600年)の建造物と判明した。
このため修復され再び本殿になったという経緯がある。
川口市の文化財指定を受けており、川口市内最古の建造物と見られている。

境内社


社殿左手奥には祖霊社が鎮座している。

御朱印

前川神社の御朱印は二種類。初穂料各300円。
御朱印、御朱印帳はともに境内左手の授与所にて受けられる。
授与所対応は16時までと若干早めに閉まるので注意が必要。

御朱印帳

前川神社の御朱印帳は初穂料1,000円。
表表紙に縫い込まれた獅子頭は「狛狗(はっく)様」と称され、随神として勢貴大明神を守護する。
獅子頭は戦前まで、毎年4月20日の「塞祭(ふせぎまつり)」の際に氏子区域を巡行し魔を祓い、各戸の厄災難を祓う神事に使用されていた。

前川神社の地図