妻戀神社(妻恋神社)
概要
日本武尊と、荒ぶる海神を沈める為に海に身を投じた妃の弟橘姫を祀る神社。
古くは関東総司とされ崇敬を集めた。
江戸時代から始まった初夢にまつわる授与品も有名。
御祭神 | 倉稲魂命・日本武尊・弟橘姫命 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都文京区湯島3-2-6 |
最寄駅 | 東京メトロ銀座線 末広町駅 東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅 JR中央線・総武線 御茶ノ水駅 |
URL | http://www.tsumakoi.jp/ |
御由緒
日本武尊が東征した際、走水海(浦賀水道)の神による大暴風雨に遭遇するが、后の弟橘姫命が身を海に投げ海峡の神を鎮め、尊の一行を救った。
東征の帰途、日本武尊は当初の社地で行宮(あんぐう)したとされ、郷民は尊の妃を慕われる心を憐れみ、尊と妃を祀ったのがこの神社の起こりと伝えられる。
第五十二代嵯峨天皇(在位:809~823年)の勅命により関東惣社に列せられ、正一位を賜り関東総司妻戀大明神と称した。
社号は妻を恋い慕うという意味で名づけたといわれている。
湯島付近は早くから開かれた土地で稲作が行われていたことから、後に稲荷明神(倉稲魂命)が合祀された。
江戸時代には妻戀稲荷と称され、王子稲荷神社と並んで参詣人が多かったという。
また、正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るという木版刷りの「夢枕」という縁起物が売り出された。
「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の二枚の夢枕は、萬治年間(1658~1661年)に創案され当社が版権を所有していた。
この間の1660(萬治3)年に、旧湯島天神町妻恋台から現社地に遷座している。
1872(明治5)年11月、村社に列せられた。
夢枕の版木は、1945(昭和20)年の大空襲により社殿とともに焼失したとされていたが、1977(昭和52)年12月に摺師・梅原勇氏邸で偶然発見され、一時期頒布が再開された。
現在は「吉夢(よいゆめ)」と名を変え授与品として頒布されている。
境内紹介
蔵前橋通りの清水坂下交差点から湯島・上野方向へ進み、すぐに右手に入る路地(妻恋坂)沿いにこじんまりと鎮座している。
かつて関東総司として崇敬を集めたこの社も、今は社号標などにその面影を残すのみとなっているが、氏子・崇敬者による護持の様子はしっかりと伺える。
境内社
境内社として妻戀稲荷神社が鎮座している。
その隣には馬頭観音碑。
また、本殿脇に水子地蔵が安置されている。
寺院ではなく、敢えてここに観音や地蔵が遷されているのが興味深い。
御朱印
妻戀神社 御朱印。初穂料300円。
社務所はあるが、通常無人。
当社へ参拝し、社務所に掲示された連絡先に電話するか、祭事の折に社務所が開かれた際、直接お願いする。
ちなみにこの御朱印は例大祭日にいただいた。
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