柳森神社
概要
長禄2年、太田道灌によって江戸城の鬼門除けとして創建され、烏森・椙森とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
御朱印はセルフ方式で授与されている。
御祭神 | 倉稲魂大神・保倉命 |
---|---|
社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都千代田区神田須田町2-25-1 |
最寄駅 | JR山手線・京浜東北線・総武線 秋葉原駅 つくばエクスプレス 秋葉原駅 東京メトロ日比谷線 秋葉原駅 都営地下鉄新宿線 岩本町駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5543 |
御由緒
1457(長禄2)年、太田道灌による江戸城築城の際、城郭鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請し、神田川土堤一帯に柳の木を多数植樹したのが創建と社号の由緒である。
1659(萬治2)年、仙台藩による神田川の掘割工事が行われるのに伴い、現在地へ遷座した。
江戸時代においては徳川家より社殿造営の寄進を受けるなど大変栄え、烏森神社・椙森神社とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
1923(大正12)年9月の関東大震災において社殿等を焼失、1930(昭和5)年に復興した。
大東亜戦争末期の空襲では小破しながらも残存、1954(昭和29)年修理が完了、神楽殿も造営される。
1984(昭和59)年、二度の放火により神楽殿が全焼、社殿半焼の被害を被り、1986(昭和61)年春に修復が完了した。
境内紹介
JR秋葉原駅から神田川方向へ向かう。
高架脇の細い路地を入ると歩行者専用の「ふれあい橋」という鉄橋があり、そこから対岸に鎮座する柳森神社が見える。
社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。
手水舎の水鉢は1693(元禄6)年の刻銘がかすかに読み取れる。
境内に残された力石群は千代田区指定有形民俗文化財。
大正年間(1912~1926年)に神田川徳蔵こと飯田徳三とその一派が使っていたものの一部とされる。
拝殿前の神使狐像は1931(昭和6)年の奉納。
微笑を湛えた良い表情をしている。
激動の昭和を過ごして来た木造社殿。
その佇まいは近代的ビル街の中にあっても懐旧の情を喚び起してくれる。
境内社
柳森神社は小社ながら実に境内社が多い。
入り口階段脇にある富士講関係石碑群は千代田区指定有形民俗文化財。
浅間神社(木之花咲耶姫命)が祀られている。
力石付近には4社。
明徳稲荷神社、秋葉大神、水神厳島大明神・江島大明神、金比羅宮(大物主命)。
境内社の幸神社(伊弉冉命・稚産霊命・倉稲魂命・誉田別命)。
なお、福寿神祠(徳川桂昌院殿)は通称「おたぬきさま」と呼ばれ有名だ。
五代将軍綱吉の生母・桂昌院により、江戸城内に福寿稲荷と称して創建された。
庶民の出ながら、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうと、大奥の女中達はこの社を崇敬したという。
後に旗本・瓦林邸内に遷座したのち、1869(明治2)年柳森神社に合祀されている。
開運、諸願成就、勝運、出世に御利益があるとされる。
鳥居付近のおたぬきさまは、なんともユーモラスな出で立ちで参拝者を迎えている。
御朱印
柳森神社の御朱印は、現在参拝者自身で押印するセルフ方式。
拝殿左の授与所(閉まっている)に御朱印と朱肉が置いてある。
初穂料は100円を賽銭箱へ納めるよう案内書きされている。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません