子易神社(板橋二丁目鎮座)


御祭神:木花開耶姫命
社格:旧無格社
所在地:東京都板橋区板橋2-19-20
最寄駅:都営地下鉄三田線 板橋区役所前駅
東武鉄道東上線 大山駅
JR埼京線 板橋駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/21_itabashi/21005.html
御由緒:創建年代は不詳。
江戸時代前期、1674(延宝2)年の検地帳には境内地について記載されており、これより以前に祀られていたとみられる。
富士浅間神社の御分霊を勧請したと伝えられ、旧金井久保村の鎮守だった。
福生寺が別当寺で、子安宮または子安明神などと称されていたが、1868(明治元)年の神仏分離令により分離し子易神社と改称している。

大山駅北口から東へ500mほど、山手通りを越えた先の十字路付近に鎮座している。
板橋区役所前駅からはA2出口を出て右(南)に向かうと、400mほどでこの十字路にたどり着く。
社頭にある地蔵尊菩薩御堂は、1695(元禄8)年に造立されたもので胸突地蔵尊像が安置されている。
台座には「右上尾」「左河越」と刻まれ、中山道と川越街道への方向を示す道標を兼ねている。
身代わり地蔵とも呼ばれ、もとは神社の裏手にあった福生寺の境内(現・区立かないくぼ保育園敷地)に安置されていたという。
ある夜半、この辺りで物盗りに襲われ胸を槍で突かれた王子村の長者が、倒れる際にお経を唱え気を失った。
やがて気がつき、確かめると刺されたはずの傷がなく、道端の石地蔵の胸に真新しい槍傷がついていたのが「胸突」という呼称の由来。
そして身代わりとなった地蔵に感謝し、長者が建てて祀ったのがこの堂宇である。

参道を進むと右手に子安観音菩薩御堂がある。
1765(明和2)年11月に造立されたもので、蓮華座上に結跏趺坐し、その膝に子を抱いた子安観音坐像が安置されているという。
こちらも元は福生寺に安置されていたが、同寺が明治初年廃寺になった際、当社に遷された。


社地南側には鳥居がない参道があり、こちらには一対の狛犬がいる。
周囲はボク石などで覆われており、富士塚のようにも見える。
まったくの余談だが、この参道の延長上には昭和初期の一時期、東武東上線の金井窪駅が存在していた。
隣の下板橋駅とは駅間距離が400mほどしかなかったことや、戦災の影響で業務を停止した後に廃止され「幻の駅」となったことで知られる。



古来より安産や子育の神として、信仰を遠方より集めていたという。
静謐な境内は、母の手に抱かれるかのような温もりを覚える。
境内社は社殿右手に稲荷神社、そして諏訪神社が鎮座する。
いずれも立派な玉垣に囲われており、こちらも崇敬の篤さを感じさせる。


子易神社 御朱印。初穂料は300円を納めた。
社殿向かって左手、神楽殿裏手の社務所にて受けられる。