十番稲荷神社
御祭神 | 倉稲魂命・日本武尊・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命 |
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社格 | 旧末廣神社:旧村社 旧竹長稲荷神社:旧無格社 |
鎮座地 | 東京都港区麻布十番1-4-6 |
最寄駅 | 都営地下鉄大江戸線 麻布十番駅 東京メトロ南北線 麻布十番駅 |
URL | http://www.jubaninari.or.jp/ |
御由緒
十番稲荷神社は、戦前存在した末廣神社と
両社は1945(昭和20)年4月15日の空襲により焼失している。
戦後の1950(昭和25)年6月、復興土地区画整理により、両社境内地を旧麻布永坂町48番地の現在地に換地され隣接指定された。
この後、合併して社号を十番稲荷神社と改称した。
1997(平成9)年3月29日に現社殿に建て替えられている。
末廣神社御由緒
御祭神:田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命・倉稲魂命・日本武皇子命
社格:旧村社
慶長年間(1596~1615年)に創建。
1691(元禄4)年には旧麻布坂下町東方の雑式(現在の雑式通り沿い付近か)に鎮座していたというが、1693(元禄6)年坂下町41番地(現ウィン麻布十番ハラビル付近)に遷座した。
境内に多数の柳があったことから「青柳稲荷」と称されたが、後にその中の一樹が扇状に枝条を形成したため「末広の柳」と呼ばれるようになり、社名に冠され末廣稲荷と称されたという。
1887(明治6)年7月5日に村社の指定を受け、1887(明治20)年4月には末廣稲荷から末廣神社と改称された。
竹長稲荷神社御由緒
御祭神:宇迦之魂神
社格:旧無格社
正確な創建は定かではない。
712(和銅5)年もしくは822(弘仁13)年に慈覚大師が八咫の神鏡をもって、武蔵国豊島郡竹千代丘(現在の鳥居坂上付近)へ稲荷大神を勧請したと伝えられる。
その後1279(弘安2)年鳥羽氏が社殿を再建する。
旧社名は「竹千代稲荷」であったようだが、徳川将軍家の世子の幼名に通ずることに遠慮し「竹長稲荷」と改称し、1624(寛永元)年3月8日に旧麻布永坂町43番地に遷座した。
大江戸線・南北線の麻布十番駅7番出口を出てすぐ右隣にこの神社がある。
鳥居に向かって左に七福神の宝船像、右脇にかえるさん像。
七福神は竹長稲荷神社が戦前の麻布稲荷七福神めぐりの一社であったこと、かえる像については大火の際、備中成羽領主・山崎主税助の屋敷を大ガマが守ったという言い伝えから、それぞれ祀られている。
地元麻布出身で大正~昭和中期に活躍した歌手、音丸が末廣神社に1937(昭和12)年2月奉納した狛犬。
戦時中は土中に埋めていたため戦災をまぬがれたという。
階段を上りきった正面がすぐ拝殿、右手に手水。左手に授与所がある。
年3回「正月」「納涼まつり」「酉の市」のときのみ、拝所向かって左手に登場する満願成就のかえる。
限定の特別な札を納めて願掛けができる。
十番稲荷神社の御朱印・御朱印帳
十番稲荷神社のオリジナル御朱印帳は初穂料1,500円。
狐・蛙・宝船が縫い込まれた、金運が上がりそうなデザイン。
御朱印は拝所左手の授与所にていただける。
初穂料300円。
なお2015(平成27)年以降、朱印の印影などが刷新されているため、新旧の御朱印を掲載した。
十番稲荷神社の限定御朱印
「寶船」と墨書きされた御朱印は、毎年1月1日〜15日に開催される「港七福神めぐり」の限定。
酉の市開催日は十番稲荷の御朱印は授与されず、通常と意匠が完全に異なる限定御朱印となる。
なお2015(平成27)年二の酉から墨書きがされない形に変更となった。
以前はオリジナル御朱印帳を拝受すると、貼付用の特別御朱印が一緒に授与されていた。
(※平成28年3月頒布終了)
印刷されたものに奉拝と日付の墨書き。意匠がとても微笑ましい。
2015(平成27)年8月には麻布十番商店街で行われた「麻布十番納涼まつり」に合わせ、限定御朱印が授与された。
2016(平成28)年は授与が行われていない。
十番稲荷神社の地図
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