櫻田神社(桜田神社)
概要
平安時代末期の治承4年、霞ヶ関桜田門外に霞山桜田明神として創建され、新撰組の沖田聡司や乃木将軍が初参りに参詣したことで知られる。
港七福神の寿老神を祀る。
御祭神 | 豊宇迦能売大神 |
---|---|
社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都港区西麻布3-2-17 |
最寄駅 | 東京メトロ日比谷線 六本木駅 都営地下鉄大江戸線 六本木駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minato/3010 |
御由緒
1180(治承4)年、源頼朝の令により渋谷庄司重国が霞山桜田明神として霞ヶ関桜田門外に創建したとされる。
1189(文治5)年秋、頼朝は奥州平定の報賽として田地三十貫を寄進、御神田の畔毎に桜を植えられたという。
御神田は「桜田」と称され、旧地名「桜田村」の由来となった。
戦国時代に社殿は破損したが、文明年間(1469~1487年)に太田道潅が再興、地領の守護神として崇敬した。
道灌による太刀甲胃等の寄進があり御神宝とされていたようだが、1845(弘化2)年の青山火事で焼失したという。
江戸期においては大名屋敷の建設などに伴う御用地接収によって氏子共々移動を余儀なくされ、慶長年間(1596~1615年)に櫻田溜池付近へ遷座、1624(寛永元)年現社地へ再遷座している。
なお、幕末には新撰組の沖田聡司や乃木将軍が初参りに参詣した神社としても知られる。
1872(明治5)年11月5日に村社の指定を受け、1895(明治28)年10月18日には社号を霞山稲荷神社から現社号に改めた。
1945(昭和20)年5月の空襲により氏子町内ともども灰燼に帰し、戦後1951(昭和26)年9月に木造社殿を再建している。
1974(昭和49)年から本殿・幣殿・拝殿を造替、翌1975(昭和50)年9月に竣工奉告祭を行った。
境内紹介
最寄りの六本木駅から六本木通りを青山・渋谷方向に向かう。
六本木ヒルズクロスポイントを通り過ぎたところで左折し、テレビ朝日通りへ。
グランドハイアットのエントランス付近に信号があり、これを過ぎた右手に鳥居がある。
参道を奥へ進むと右手に手水舎。
立派な水盤は1847(弘化4)年の造立だという。
社殿周辺は盛土されており、参道には石段が設けられている。
石段上の二の鳥居には「従五位下松平伊勢守源定朝敬白」の陰刻。
1830(文政13)年に菖蒲の育種で有名な松平定朝が奉納したもの。
現中国大使館付近に屋敷があったという。
石段の手前には1804(文化元)年に櫻田久保町の氏子が奉納した尾立狛犬が一対。
拝殿右手には大黒天が祀られた福寿稲荷社が鎮座している。
なお港七福神の壽老神(猿田彦神)と厳島明神(弁財天)が合祀されている。
御朱印・御朱印帳
御朱印
櫻田神社と港七福神めぐり「壽老神」の御朱印。初穂料は300円。
拝殿左手の社務所にて受けられる。
港七福神めぐりの開催期間外は日付なしの書き置きのみの対応となる。
御朱印帳
櫻田神社の御朱印帳は特定期間のみ頒布される模様。
初穂料は3,000円。
授与時には御朱印三種が印判であらかじめ捺されている。
念のため「御朱印帳」と縫い込まれている方(画像右側)が表表紙。
オリジナル御朱印帳を拝受した場合のみ、最初の頁に上記の御朱印が捺されている。
御神紋と沖田総司の家紋(丸木瓜)の印判入り。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません