八景天祖神社 (神明山天祖神社)


御祭神:天照大御神
相殿神:天手力男神・万幡豊秋津姫命
社格:旧無格社
所在地:東京都大田区山王2-8-1
最寄駅:JR京浜東北線 大森駅
京浜急行電鉄本線 大森海岸駅
URL:—
御由緒:享保年間(1716~1735年)、当地の庄屋・年寄・百姓らが伊勢講を組織し、皇大神宮で御分霊を受け祭祀したのが創建と伝わっている。
当時は神明社と称され、別当は円能寺(現・山王1-6-30)を務めた。
神仏分離令にともない、1872(明治5)年に円能寺から分離し「神明山天祖神社」と改称している。

大森駅西口を出た目の前が鎮座地。
池上通りをはさんで、社叢が生い茂った急勾配の参道石段と社号標が見える。

石段を上る途中左手には摂社・正一位伏見稲荷社(稲荷石社)。
祭神は宇迦之御魂神。江戸時代から鎮座していたとされる。


境内は狭小で、構成もシンプル。
基本は町会等が主体で管理している無人社のようで、手水舎はあるものの水盤は空。
境内と拝殿前にはそれぞれ由緒が掲示されているが、記載された社号が「神明山天祖神社」「八景天祖神社」と異なっている。
神明山は当然社地を含むこの地形を指すのだろう。
八景は社前の坂道がかつて「八景坂」と呼ばれたことにちなんでいるものと思われる。
坂上からは房総付近までを眺望できる景勝地であったといい、歌川広重作「名所江戸百景」にも坂の風景が描かれている。
この坂から眺めた八景(笠島夜雨・鮫州晴嵐・大森暮雪・羽田帰帆・六郷夕照・大井落雁・袖浦秋月・池上晩鐘)が坂名の由来。

賽銭箱の脇に置かれた松の切り株はかつて社殿脇に生えていたという「義家鎧かけの松」。
源義家が奥州征伐(後三年の役)のため行軍中、松に馬を繋ぎ鎧をかけて休憩したという伝承があり、その三代目とされているが1917(大正6)年10月の台風で倒れたため、切り株のみが残っている。

境内南側には生活道路となっている石段があり、途中崖地をくり抜いて収められた庚申塔がある。
祠の中には1800(寛政12)造立の青面金剛像が祀られている。

※八景天祖神社 (神明山天祖神社)については、数年前まで御朱印の授与があったようだが、確認したところ現在は行われていない。