玉川神社(等々力)

2014年4月23日

概要

戦国時代の文亀年間、領主・吉良頼康が紀州より勧請・創建したと伝えられ、元は熊野社と称した。
毎年11月には境内で菊まつりが行われている。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解之男命
相殿
天照皇大神・大己貴命・少彦名命・武御名方命・日本武尊
社格 旧村社
鎮座地 東京都世田谷区等々力3-27-7
最寄駅 東急電鉄大井町線 等々力駅
URL http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/setagaya/5659

御由緒

創建の年代は不詳だが、文亀年間(1501~1504年)に世田谷城主・吉良頼康が紀州熊野より勧請したと伝えられ、元は熊野社と称した。
等々力村の鎮守であり、別当寺は今も隣接する真言宗智山派の寺院・致航山満願寺(等々力3-15-1)であった。
1872(明治5)年に村社に列せられ、1907(明治40)年には村内に鎮座していた字上原神明社・字小山根御嶽社・諏訪社(現・東玉川神社の前身)を合祀し、地名に因み社号を玉川神社と改称した。
現本殿は1929(昭和4)年、拝殿と幣殿は1940(昭和15)年に、それぞれ造営された。
1964(昭和39)年、等々力1-25鎮座の八幡社を合祀している。

境内紹介



大井町線等々力駅から東に向かい、目黒通りを北に4~500mほど歩けば到着。
豊かな社叢に覆われ、鎮守様の雰囲気たっぷりの境内である。



境内西側から神楽殿脇を通る参道があり、境内中央付近に合流する。
このあたりに祓戸社(祓戸大神)、そして1915(大正4)年造の狛犬が一対。



拝殿前にも狛犬が一対。
拝殿向かって右手奥の石獅子は、情感溢れた子落としの様子が表現されている。
春には傍らの枝垂れ桜が咲き、見事な景観となる。

旧社殿は1918(大正7)年、不慮の火災により焼失してしまう。
不景気の影響もあって再建には時間を要したものの、幸いなことに戦災を免れ、着実に境内地の拡張や諸整備が進められ現在にいたっている。

境内社


境内末社は前述した祓戸社のほか7社が鎮座している。
表参道鳥居の左手には忠霊塔(戦歿将士)。
拝殿向かって左手奥に天満宮(菅原道真公)と八幡神社(応神天皇)の合殿。
もとは祓戸社もここに祀られていた。


続いて大國社(大己貴命・少彦名命)、稲荷社(稲倉魂命)、三峯社(伊弉諾尊・伊弉冉命)、神明社(天照皇大神)が祀られている。

御朱印

玉川神社の御朱印は、拝殿向かって右手の授与所で受けられる。
初穂料をお納めしようとしたが、宮司様が「他の神社に納めておいでよ」とにこやかに仰る。
気さくな宮司様で、しばし雑談。近隣の情報も教えていただいた。

玉川神社の地図