鳩森八幡神社
概要
渋谷区千駄ヶ谷の鎮守。江戸八所八幡のひとつにも数えられる。
現存する都内最古の富士塚があり、御朱印は富士浅間神社についても受けられる。
御祭神 | 應神天皇・神功皇后 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都渋谷区千駄ヶ谷1丁目1-24 |
最寄駅 | JR総武線千駄ヶ谷駅 東京メトロ副都心線 北参道駅 東京都営地下鉄大江戸線 国立競技場駅 |
URL | http://www.hatonomori-shrine.or.jp/ |
御由緒
平安時代初頭の860(貞観2)年、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の折、村民の懇請によって山城国岩清水八幡宮に宇佐八幡宮を遷座した故事に則り神功皇后・応神天皇・春日明神の像を作り添え、正八幡宮として奉ったことを縁起とする。
鳩森(はとのもり)の名はそれ以前の故事に由来する。
「江戸名所図会」(江戸後期に編纂された図鑑)によれば、当地の林に吉兆を示す瑞雲がたびたび現れており、ある時青空から白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林中に入っていったところ、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。
この霊瑞(れいずい)によって、小祠を営み『はとのもり』と名付けた。
久寿年間(1154~1156年)、渋谷金王丸が恵心僧都作の弥陀如来像を本地仏として社殿を造営、当地の産土神としたと伝えられる。
1945(昭和20)年5月26日未明、空襲により境内建築物や社叢を焼失した。
戦後の1949(昭和24)年1月に本殿、1952(昭和27)年に拝殿、1959(昭和34)年1月に幣殿を再建した。
なお、境内には1789(寛政元)年に築造された、都内に現存する最古の富士塚がある。
境内紹介
最寄りの千駄ケ谷駅、北参道駅ともほぼ距離は変わらず、徒歩で7~8分ほど。
正参道は東面しており、千駄ヶ谷駅側にも北側参道がある。
正面参道、北側参道、それぞれに狛犬が一対づつ。
よくある岡崎現代型ではなくどちらも趣ある意匠。
能楽殿は、旧神楽殿が老朽化したため、2000(平成12)年に建て替えられたもの。
拝殿手前に手水舎。また、社殿北側には将棋堂がある。
ここには当社南側向かいにある日本将棋連盟から奉納された、1.2mの王将大駒が納められている。
旧社殿は1945(昭和20)年5月の空襲により焼失し、1981(昭和56)年までに一度全ての復興事業を終えたが、昔日の姿を復元すべく1993(平成5)年に現社殿が再造営されている。
境内社
境内社は三社が鎮座する。
本殿の脇には神明社。御祭神は天照皇大神。
青山権太原に鎮座していた太神宮が1908(明治41)年に遷された。
甲賀稲荷社。御祭神は宇迦之御魂神。
かつては甲賀組組屋敷の武士等が崇敬していたという。
1885(明治18)年、青山練兵場建設のため当社に遷座した。
千駄ヶ谷の富士塚
境内で一際存在感を放つのは富士浅間神社(御祭神・木花咲耶姫命)が祀られた富士塚である。
1789(寛政元)年に築山され、都内最古の富士塚として東京都の有形民俗文化財指定を受けている。
規模感も都内有数な上、常時登拝ができる貴重な富士塚だ。
境外南側、社務所と前述の将棋会館の間を通る坂を下っていくと庚申塚がある。
1724(享保8)年造の青面金剛像が祀られており、足腰健康の御利益があるとして草履奉納の風習が今も残る。
御朱印・御朱印帳
御朱印
鳩森八幡神社と末社・富士浅間神社の御朱印。
初穂料各300円。
富士浅間神社については別途台紙が用意された横型形式でも拝受可能。
御朱印帳・御朱印とも拝殿向かって左手の札所にて受けられる。
以前の御朱印
御朱印帳
鳩森八幡神社 御朱印帳。
花柄の他に、臙脂と深緑の無地タイプも頒布されている。
初穂料各1,000円。
鳩森八幡神社の地図
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