新宿諏訪神社

2014年9月18日


御祭神:大国主命・事代主命・武御名方命
社格:旧村社
URL:http://sinjukusuwa.jp/
所在地:東京都新宿区高田馬場1-12-6
最寄駅:東京メトロ副都心線 西早稲田駅
JR山手線 高田馬場駅
西武新宿線 高田馬場駅
東京メトロ東西線 高田馬場駅
御由緒:創建は弘仁年中(810~820年)、小野篁が大国主命・事代主命を祭祀したと伝わる。
当初社地が松原街道に接していたことから松原神社と称されていた。
承和年中(834~848年)には空海の弟・真雅僧正が再営したとされる。
永承年中(1046~1053年)源頼義・義家父子は前九年の役の折、当社に戦勝を祈願し、乱平定後に武器を奉納したという。
また、1189(文治5)年、源頼朝は藤原泰衡討伐の際に戦勝祈願し、凱陣の後に社殿を造営、境内に頼義・義家父子を祀って白旗社と称した。
1254(建長6)年、鎌倉幕府第五代執権・北条時頼により厳島神社が境内に奉斎されるが、後に本社に合祀されたという。
(しかし現在の御祭神に厳島神社に該当する神名は列していない。)
室町期の1469(応仁3)年春には太田道灌が社殿を再営したが、後に焼失した。
江戸時代に入り、徳川義直(尾張藩初代藩主・徳川家康の九男)が信濃国の諏訪神を勧請・合祀し、諏訪神社と改称した。
また、後水尾天皇が当社に御神体を奉納せられたとされる。
寛永年中(1624~1644年)三代将軍徳川家光が社殿を造営、四代将軍家綱が鷹狩りの手鷹を奉納、以降老鳥は代々当社へ奉納することとなる。
明和年中(1764~1772年)には十代将軍徳川家治が鷹狩りの際に参詣、当社の御分霊を江戸城内の紅葉山と浜離宮の吹上御殿に勧請した。
1856(安政3)年、境内に末社として祀られていた天祖神社・八幡神社・阿多古神社・住吉神社・琴平神社・北野神社・須賀神社・白旗神社・白鳥神社・御霊神社が嵐で破損したため、本殿に合祀されている。
1882(明治15)年11月、明治天皇が行幸し新設された諏訪森近衛射的場において射的砲術天覧後、当社にて神酒と鴨の奉納があった。
これにより社殿に菊の御紋がつけられるようになった。また、1943(昭和18)年には都の行幸史蹟に指定された。
戦後の1974(昭和49)年より社殿他境内各施設の再造営が行われ、1980(昭和55)年には現社殿が完成した。


明治通りと諏訪通りの交差点近くに鎮座する。
最寄りの副都心線西早稲田駅からであれば、徒歩でもすぐの距離感。
大鳥居をくぐると左手に手水舎がある。汲み出されている水は、古くより眼病や諸病に霊験有りとされる霊水。

新宿諏訪神社の狛犬達。二の鳥居を挟んで、参道入口側にもう一対昭和初期奉納のものがある。

正面から見るとタイトな印象の拝殿だが、横に回って本殿までの全景はさすが重厚感溢れる造り。
朱塗りの社殿と境内の木々の緑、青空と雲のコントラストが実に印象的である。


境内社は二社。御嶽神社(大物主命・太玉命)と稲荷神社(受保ノ神)。
そのそばには庚申塔や、新宿区登録有形民俗文化財で区内唯一現存する「塞神三柱の塔」も。

新宿諏訪神社 御朱印帳。初穂料1,000円。
表に現拝殿が刺繍であしらわれており、菊花紋もしっかりと表現されている。

新宿諏訪神社 御朱印。初穂料300円。
社務所建物の北側に授与所窓口があるので、そちらに申し出る。
社務所玄関は西面にあるが窓口はそちらではないそうなので、ご注意を。
また当社は開門時間が午前6時~午後4時と決まっているので、参拝時はその辺を考慮したほうがよいだろう。