五條天神社
概要
東京上野恩賜公園内に鎮座し、薬祖神二柱と菅原道真公を祀る。
毎月十日の医薬祭や毎年正月に行われる鷽替えの神事などの特徴を持つ他、その立地から参拝者が多く集まる。
御祭神 | 主祭神 大己貴命・少彦名命 相殿 菅原道真公 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区上野公園4-17 |
最寄駅 | JR山手線・京浜東北線・常磐線・高崎線・東北本線・上野東京ライン 上野駅 東京メトロ日比谷線・銀座線 上野駅 京成電鉄本線 京成上野駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3045 |
御由緒
五條天神社は東京上野恩賜公園内に鎮座し、薬祖神二柱を祀る神社である。
第十二代景行天皇の御代(西暦71~130年)、日本武尊が東夷征伐の際、大己貴命と少彦名命の加護に感謝し上野忍が岡に二柱を祀ったのが創祀とされている。
相殿に配祀された菅原道真公は1641(寛永18)年の合祀であり、下谷天満宮とも称された。
江戸時代初期までの鎮座地は、天神山(現上野公園内摺鉢山上)や同公園南端付近(黒門脇)に遷されている。
こうした遷座は、1625(寛永2)年以降の寛永寺諸堂の建立工事の影響を受けたものと推測されている。
1697(元禄10)年に瀬川家屋敷地に遷されると、門前町が形成され賑わったという。
大正時代にも、鉄道の敷設や関東大震災の影響で付近へ遷されたのち、1928(昭和3)年に現在地へ鎮座した。
なお、中央区日本橋室町2−5−8には東京薬種貿易商同業組合(現・東京薬事協会)が当社の御分霊を勧請した薬祖神社が鎮座している。
境内紹介
五條天神社の正面(南側鳥居)と西側鳥居。
鳥居をくぐると、境内の空気がとても柔らかで心地よい。
五條天神社南側参道から来ると右手にある手水舎は水盤が特徴的。
拝殿の左脇には梅が植えられており、2~3月頃には境内にほんのりとよい香りを漂わせる。
境内右側には直接花園稲荷神社と繋がる階段がある。
境内社・木鷽
境内社は、参道脇に七福社が鎮座している。
江戸時代、山内各門に祀られた祠のひとつといわれ、七福神を奉斎している。
鷽替神事の木鷽は初穂料1,500円。
元旦0時および1月25日(初天神)の朝、一人につき一体の制限で、限定数が頒布される。
6cm強の大きさで、通常は頭頂部に銀紙が貼られているが、稀に金鷽がいる。
五條天神社旧社地跡
上野4-10-7、ヨドバシカメラの建物脇(アメ横側)に旧社地跡の碑が残されている。
ここには五條天神社の別当で幕府の連歌宗匠を務めた瀬川家が1638(寛永15)年より屋敷を構えており、1697(元禄10)年から大正時代まで五條天神社が鎮座していた。
周囲は「五條天神門前」と呼ばれており、1868(明治2)年に「五條町」と改称、1964(昭和39)年の町名変更までその名が存続していた。
御朱印
五條天神社の御朱印は初穂料300円。
南参道の左手にある社務所で受けられる。
なお、隣接する花園稲荷神社の御朱印もこちらで授与されている。
過去の御朱印
以前は印影が小さいものも授与されていた。
五條天神社の地図
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