今戸神社
御祭神:応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊・福禄寿
社格:旧村社
所在地:東京都台東区今戸1-5-22
最寄駅:東京メトロ銀座線 浅草駅
東武鉄道伊勢崎線 浅草駅
都営地下鉄浅草線 浅草駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3222
御由緒:1063(康平6)年源頼義・義家父子が奥州討伐の折、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現今戸)に京都石清水八幡宮を勧請したのが今戸八幡(現在の今戸神社)創建であるといわれている。
源義家は1081(永保元)年、謀反をおこした清原武衡・家衡討伐に向かうため、今之津に立ち寄り戦勝を祈願した。
見事この戦に勝利した後、義家は神徳に報いて社殿を修復したという。
江戸時代においては、三代将軍徳川家光による修復工事も行われている。
1937(昭和12)年7月、隣地に鎮座していた白山神社を合祀し、今戸神社と改称した。
社殿は関東大震災や1945(昭和20)3月の空襲などたびたび被災し再建が行われており、現社殿は1971(昭和46)年に再建された。
近年は浅草名所七福神や東京下町八福神巡りの一社として名を連ねる他、招き猫発祥の地や縁結びのパワースポットとしての活動によって脚光を浴び、参拝者が多くなっている。
浅草駅から少し距離はあるものの、歩けない距離ではない。
言問橋西交差点から隅田公園沿いの都道314号を北へ。
待乳山聖天などの門前を通過後、ニ叉路を左へ進むと150m弱で到着する。
鳥居をくぐると割と広めの境内が広がる中、参道を進むと右手に手水舎。
手水舎そばの狛さんたちは保護用の金網でよく見えないが、1822(文政5)年の作という。
拝殿へ進む手前にもまた狛犬。こちらは岡崎古代型。
拝殿前狛犬・吽形の後方には、今戸焼発祥之地碑と沖田総司終焉之地碑が建てられている。
新選組隊士であった永倉新八が記した「同志連名記」によれば、結核を患った沖田総司は今戸神社境内にあった幕府の医師・松本良順の私邸に収容されたという。
ただし、千駄ヶ谷にも終焉を迎えたとされる場所(植木屋平五郎邸跡)がある。
ちなみに総司の墓所は港区の専称寺(港区元麻布3-1-37)。
拝殿前に進むと左脇に撫で猫さま。なかなかの御利益があるようだ。
猫といえば、今戸神社は世田谷豪徳寺などとともに「招き猫発祥の地」を称している。
当社における招き猫発祥の伝承は以下のとおり。
付近に住んでいたある貧しい老婆が、貧困ゆえ泣く泣く飼い猫を手放した。
あるとき夢にその猫が現れ「自分の姿を人形にすれば必ずや福運を授かる」と老婆に告げた。
老婆は今戸焼で招き猫を作り、浅草寺の参道で売り出したところ評判になったのだという。
拝殿には大きな招き猫さまと福禄寿が御鎮座。
この招き猫は元々近所のビルに置かれていたものが処分されることになり、譲り受けたとか。
社殿に向かって右横に授与所がある。授与品は種類も豊富で必見である。
また、授与所前にはイスやテーブルも置かれていて気が利いている。
参拝後は一息つきながら、良い気をお頒ち頂いていくのもいいだろう。
今戸神社 御朱印帳。初穂料1,500円。
拝殿にご鎮座の招き猫、裏表紙には福禄寿。
招き猫は今戸神社神職でイラストレーターの市野智絵さんによるデザイン。
2015(平成27)年11月現在は黒が完売で、紺・水色・ピンクが頒布されている。
今戸神社 御朱印。神社の御朱印と浅草七福神の福禄寿。初穂料はそれぞれ300円。
御朱印帳と御朱印は授与所にて。
挟めていただいた半紙。以前は福禄寿の御顔が文字絵で。
現在は「自然界の神様ありがとうございます」と、手書きで書かれている。
ご対応くださった宮司夫人いわく「御朱印を受けた人は、これを思い出して感謝の祈りを神様に捧げていただきたい」と。
市野智絵さんと宮司夫人・市野惠子さんの著書。
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