石塚稲荷神社(柳橋)

概要

火伏の神として霊験灼かで広く衆庶の信仰を集めた。
料亭や芸妓衆など、かつて隆盛した花街・柳橋の花柳界からも崇敬が篤く、境内の石造物にその名残がみえる。

御祭神 宇迦之魂神
社格 旧無格社
鎮座地 東京都台東区柳橋1-1-15
最寄駅 JR総武線 浅草橋駅
都営地下鉄浅草線 浅草橋駅
URL

御由緒

往古、稲荷大神の夢告により掘井戸から宝石が出現したことから、元旅籠町の居住者有志が当社を創建した。
1688(元禄元)年、旧鎮座地が浅草御蔵御火除御用地として召上げられ、その代地として現在地に奉遷された。
1945(昭和20)年3月、空襲で被災したものの、戦後直ちに再建されている。
1967(昭和42)年12月、現社殿に造替され現在に至っている。
古くより第六天榊神社の兼務社として奉仕されており、火伏の神として霊験灼かで、広く衆庶の信仰を集めている。

境内紹介


JR浅草橋駅東口から江戸通りを横断する。
高架に平行して通る柳橋桜南通りを隅田川河畔近くまで進んだ先、東京文具販売健保会館の敷地脇にひっそりと鎮座している。


柳橋はかつての花街だ。
玉垣には「柳橋藝妓組合」「柳橋料亭組合」、そして「亀清」「栁光亭」「深川亭」といった料亭の屋号などが並ぶ。
柳橋の花街は江戸時代後期に形成され、一流の商人や文化人たちが集う社交場として発展する。
明治に入り作られた新橋の花街とともに「柳新二橋」と称され、戦前まで隆盛を極めた。
戦後まもなく復興したが、1964(昭和39)年東京オリンピック開催の頃から銀座・赤坂・六本木などの歓楽街に客が流れるようになる。
追い討ちをかけるように隅田川の護岸工事による景観の悪化と水質汚濁による悪臭が発生し、衰退に拍車を掛けた。
1976(昭和51)年、街の象徴的存在でかつて森鴎外、永井荷風、伊藤博文らが贔屓としていた1854(安政元)年創業の料亭・亀清楼が芸妓を入れない割烹料理店へ業態転換する。
1978(昭和53)年、かつて料亭組合が仕切っていた両国花火大会が隅田川花火大会と改称し再開されるも、打ち上げ場所は浅草に移され戻ってこなかった。
そして最後の一軒となった料亭「いな垣」が1999(平成11)年1月に廃業し、柳橋芸妓組合も解散。
400年近く続いた柳橋の花柳界は終焉を迎えた。
料亭があった場所は軒並み無機質なビルやマンションに建て替えられ、往時を偲ばせるものはほとんど残っていない。
この神社は花街・柳橋の貴重な遺構でもある。

石塚稲荷神社では御朱印の対応は行われていない。
本務社・第六天榊神社でも同様。
初穂料300円。

石塚稲荷神社の地図