篠塚稲荷神社(柳橋)
概要
御祭神 | 倉稲魂神 |
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社格 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都台東区柳橋1-5-1 |
最寄駅 | JR総武線 浅草橋駅 都営地下鉄浅草線 浅草橋駅 |
URL | — |
御由緒
創建年代は詳らかではない。
古記に「大川辺に高き丘あり篠生い茂り里人ここに稲荷神を祀る」とあり、古来より商売繁昌・火防の神として篤く尊崇されている。
※大川とは吾妻橋から下流域の隅田川を指す呼称。
正平年間(1346~1370年)、新田義貞の家臣で新田四天王の一人とされた篠塚伊賀守重廣が、戦に負け東国へ落ち延びたのち、社傍に庵を結んで出家し、来国光の刀を神前に捧げ主君新田家の再興を日夜祈願したことから、いつしか篠塚稲荷大明神と尊称されるようになったとする伝承が残る。
本多紀伊守正永が寺社奉行であった折の1693(元禄6)年2月に御府内古跡地に定められた。
なお、明治初年の神仏分離の際、旧別当・篠塚山玉蔵院宗林寺は廃され、第六天榊神社の兼務社となった。
江戸時代に開設されていた寺子屋(篠塚学校)は1922(大正11)年まで続いたが廃校となっている。
1945(昭和20)年3月、空襲で被災したが戦後直ちに復興し、1960(昭和35)年5月に現社殿が造営されている。
境内紹介
浅草橋駅から江戸通りを南進、浅草橋一丁目信号で左折して柳橋篠塚通りを隅田川方向へ。
信号から70mほど進んだ左手の角地に鎮座している。
南側を流れる神田川には屋形船の船宿が数多く並び、花街の名残を僅かに感じさせる。
ご覧の通り、社殿向かって左側約三分の一が隣の神楽殿・社務所に、本殿部分も後方のビルに組み込まれた独特な構造になっている。
旧別当の玉蔵院は修験道系の寺院で、京都・醍醐寺三宝院の末寺。
江戸時代まで当社は咜枳尼天を祭神としていた。
神仏混淆が色濃い歴史を持つが、今となってはそれを物語る遺構は残されていない。
篠塚稲荷神社では御朱印の対応は行われていない。
本務社・第六天榊神社でも同様。
初穂料300円。
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