巣鴨猿田彦大神庚申堂

2015年2月16日

巣鴨猿田彦大神庚申堂
御祭神:天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神 
社格:—
URL:http://www.sugamokoushin.com/
所在地:東京都豊島区巣鴨4-35-1
最寄駅:都電荒川線 庚申塚停留所
JR山手線 巣鴨駅・大塚駅
東京都営地下鉄三田線 巣鴨駅
御由緒:1502(文亀2)年、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
1657(明暦3)年、明暦の大火(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。
ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまう。
村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
当地は旧中山道(現・地蔵通り)と旧王子道(現・折戸通り)が交差しており、板橋宿に至る途中の立場(たてば・休憩所)として、賑わったという。
「江戸名所図会」には当時の様子が描かれており、庚申塔のそばに二軒の茶屋が立ち並び人々の行き交う様子が伺える。
この茶屋には小林一茶も訪れ、「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」との句を詠んでいる。
明治初期には、近辺の有志が千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。
1933(昭和8)年、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、1945(昭和20)年に戦災で焼失する。
戦後の1949(昭和24)年、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
1972(昭和47)年、前年に発足した庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され、1975(昭和50)年には御水屋も設置された。
1982(昭和57)年に庚申堂奉賛会が発足、1991(平成3)年に山門の改築に至っている。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 山門と社号碑巣鴨猿田彦大神庚申堂 社号碑
巣鴨猿田彦大神庚申堂 由来書銅板巣鴨猿田彦大神庚申堂 山門
最寄り駅は都電荒川線の、その名も「庚申塚停留所」。ここからだと徒歩1~2分の至近である。
あるいは巣鴨駅から散策がてら地蔵通り商店街を歩いてくるのも良いだろう。
前述のとおり、地蔵通りと折戸通りの交差点の北東側角地に鎮座する。
大塚駅からは折戸通りから1km程度で、こちらも徒歩圏内。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 神猿 (左)巣鴨猿田彦大神庚申堂 神猿 (右)
巣鴨猿田彦大神庚申堂 御水屋 (1)巣鴨猿田彦大神庚申堂 御水屋 (4)
山門をくぐると、微笑みを浮かべた神猿一対がお出迎え。
御水屋は溶岩と水鉢、それらを覆う植栽のバランスが絶妙で非常に美しい。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 境内巣鴨猿田彦大神庚申堂 本堂 (2)
巣鴨猿田彦大神庚申堂 奉納額巣鴨猿田彦大神庚申堂 記念碑
境内は建物に囲まれこじんまりとしているが、場所柄か、意外な程絶え間なく参詣者が訪れる。
また、記念碑、由緒や説明書きなどが多く、奉賛会を中心にしっかりと護持されているのが伺える。
本堂内には1657(明暦3)年に再建された庚申塔が納められ、これは豊島区の登録文化財になっているという。
なお、顕彰碑に記される榎本留吉氏という人物は、巣鴨で幕末から続く種苗問屋、榎本留吉商店(現・東京種苗株式会社)店主で、付近の町会長だった。
明治から昭和初期にかけて、巣鴨から北区滝野川の旧中山道には種子問屋が集中し「種子屋(たねや)通り」と呼ばれたが、その元祖となる榎本孫八・越部半右衛門・榎本重左衛門三氏のうち重左衛門氏から分家した血筋が榎本留吉氏だそうだ。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 平成27年初庚申例祭 (1)巣鴨猿田彦大神庚申堂 平成27年初庚申例祭 (2)
普段は無人であるが、御札は隣の遠藤薬局で営業時間内であれば受けられると案内書きにあった。
また、元旦と節分、庚申(かのえさる)の日には例祭が行われており、この時には境内で受けられる。
巣鴨猿田彦大神庚申堂 御朱印
巣鴨猿田彦大神庚申堂 御朱印。初穂料300円。
例祭時、本堂左手に御朱印の授与受付所が設けられる。
例祭の日程については奉賛会のサイトに掲示されているので、御朱印を拝受されたい方は要確認。