富賀岡八幡宮(元八幡)

富賀岡八幡宮
御祭神:応神天皇(誉田別皇)・比売大神・宇迦之御魂大神、外五柱
社格:旧村社
所在地:東京都江東区南砂7-14-18
最寄駅:東京メトロ東西線 南砂町駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/14_koto/14017.html
御由緒:749(天平勝宝元)年、藤原鎌足の孫・藤原富成卿が下総守に任じられ下向した際、創建されたと伝えられる。
深川・富岡八幡宮の旧地・元宮ともいわれ、元八幡の俗称がある。
これは源三位頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、関東管領上杉氏から太田道灌へと伝えられた後、当社に奉斎されていた八幡像を、寛永年間(1624~1645年)に長盛法師が霊夢を受け富岡八幡宮に遷し創建したという伝承による。
また横浜市・富岡八幡宮を勧請し最初に奉斎した地とする説もあるが、いずれも根拠は薄い。
明暦の大火後、砂村新左衛門らにより宝六島(当地の旧称)一帯が開拓され、砂村新田が完成した際、砂村の総鎮守として創建されたともいう。
享保年間(1716~1735年)になると、境内・参道に3万本の桜や松が植えられ、景勝地として賑わった。
八代将軍・吉宗お手植えの矢竹なども存在したとされ、風光明媚な様子は江戸名所図会や名所江戸百景(歌川広重作)などに描かれている。
1910(明治43)年に田守稲荷神社が合祀された。
なおこの年の大水害により桜松並木は全滅、1917(大正6)年の水害、1945(昭和20)年の大空襲でも社殿などが被災した。
戦後は仮殿にて復旧され、1961(昭和36)年8月に社殿が再建されている。
富賀岡八幡宮 鳥居富賀岡八幡宮 社号標
南砂町の2a出口から、公園を左手に見つつ東へ向かう。
すぐに突き当たりになるが、そこから見える「南砂町駅前公園交差点」で左折し、さらに東へ。
400m弱進むと日通商事の看板と社屋が見えるので、そこで左折後250mほどで社頭に至る。
富賀岡八幡宮 元八幡旧跡碑・砂村新左衛門顕彰碑富賀岡八幡宮 手水舎
富賀岡八幡宮 狛犬 (1)富賀岡八幡宮 狛犬 (2)
境内へ進むとすぐに「砂村新左衛門顕彰碑」や「元八幡旧跡」の碑が目に入る。
富岡八幡宮の元宮というのは伝承の域を出ないようだが、おそらく何らかの関係性は存在したのであろう。
富賀岡八幡宮 拝殿富賀岡八幡宮 本殿
富賀岡八幡宮 石碑群 (1)富賀岡八幡宮 石碑群 (2)
当地は海抜が低い土地柄、たびたび水害の影響を受けていたそうだ。
社殿は空襲で被災したため戦後再建されているが、水害や戦災で被災した割には古い石造物が現存している。
富賀岡八幡宮 浅間神社 鳥居富賀岡八幡宮 浅間神社
富賀岡八幡宮 砂町の富士塚 (1)富賀岡八幡宮 砂町の富士塚 (2)
社殿裏には石碑群とともに、浅間神社・富士塚(江東区指定有形民俗文化財)がある。
富士講「山吉講」によって、江戸時代末期の1833(天保4)年までには築造されていた。
吉田口・大宮口・須走口、宝永山、大澤くずれ、御胎内などを細かく模しているのが特徴である。
当初は現在より30mほど北側に土盛で築山されていたが、1933(昭和8)年の水害で破損したため、表面を溶岩(伊豆黒ボク石)で固められた後、1962(昭和37)年現在地に移築された。
現在も「山吉丸す御水講」が活動し山開きなどが行われている。

拝殿脇に授与所があるものの、そこには「御朱印を受付しておりません」の貼り紙。
数年前までは授与されていたようだが、諦めるほかはない。