駒留八幡神社
御祭神:応神天皇・天照皇大神
社格:旧村社
URL:—
所在地:東京都世田谷区上馬5-35-3
最寄駅:東急電鉄世田谷線 若林駅
御由緒:1308(徳治3)年当地の領主、北条左近太郎入道成願が、八幡大神を勧請し創建された。
成願は御神託により、奉斎する土地を選ぶ際、自分の乗った馬の手綱を緩め歩かせた。
その馬が立ち止まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられる。
室町時代、世田谷城主であった吉良頼康の側室・常盤は他の側室による讒言により不義の疑いを受け、子どもを身籠もったまま自害した。
頼康は死産した子どもを一社相殿として駒留八幡宮に祀り、若宮八幡と称し、常盤を弁財天として神前にあった池の中島に厳島神社を祀ったとされる。
1872(明治5)年村社に列し、1907(明治40)年8月、社号を駒留八幡宮と改称した。
1909(明治42)年には三軒茶屋に鎮座していた天祖神社を合祀している。
東急電鉄世田谷線の若林駅を降り、環七に出て南進。駒留陸橋に至る手前に神社へ至る路地がある。
鳥居から境内の参道を進むと左手に手水舎。
拝殿前にいらっしゃる狛犬さん。
風格ある社殿。その左横には複数の境内社が鎮座する。
戦没者慰霊殿と駒留稲荷神社。
庚申塔と女塚社。
二つ並んだ社は右が御嶽社、左が三峯社・榛名社・菅原社。
一番奥に鎮座するのが、常盤を祀る厳島神社である。
あらぬ疑いをかけられた彼女は命を絶つ前、奥沢城に住まう両親への手紙を白鷺の足に結び放したという。
しかしあろう事か、狩りをしていた吉良頼康に白鷺は射落されてしまう。
これにより頼康は寵愛した常盤の潔白を知ることとなるが、時既に遅く彼女は命を絶った後であった。
そして白鷺の亡骸から流れた血の跡には、白鷺の舞い立つ姿にそっくりな花が咲き、「鷺草」と名づけられた。
世田谷区の花「さぎそう」に纏わる伝説である。
駒留八幡神社 御朱印。初穂料300円。拝殿右手の社務所にてお願いできる。
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