烏森神社(新橋)
概要
カラフルかつ豊富な期間限定御朱印の先駆けとして有名な、平安時代創建の古社。
江戸三森の一社で、現在は心願色みくじなどの授与品、ゆるキャラ「こい吉くん」などでも人気を集める。
御祭神 | 倉稲魂命・天鈿女命・瓊々杵尊 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都港区新橋2-15-5 |
最寄駅 | JR山手線・京浜東北線・東海道線・横須賀線・上野東京ライン 新橋駅 東京メトロ銀座線 新橋駅 都営地下鉄浅草線 新橋駅 都営地下鉄大江戸線 汐留駅 東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ) 新橋駅 |
URL | http://karasumorijinja.or.jp/ |
御由緒
境内の御由緒書によれば、平安時代の940(天慶3)年に平将門が東国で叛乱を起こした際、征討将軍・藤原秀郷が武州に鎮座していた稲荷社に戦勝を祈願した際、白狐が現れて秀郷に白羽の矢を与えた。
その後将門を討った秀郷は、報賽として一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れ「神鳥の群がる所」が霊地と告げる。
旧桜田村(当地付近の旧地名)の森まで来ると、霊夢のとおり烏が群がる場所があり、そこに社頭を造営したというのが創祀とされている。
室町時代の1455(享徳4)年に室町幕府の初代古河公方・足利成氏が当社に戦勝祈願した。
その祈願状は現在に至るまで当社の社宝として伝えられ、港区の指定文化財となっている。
参考:https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/bunkazai/bunkazai.cgi?id=5699
江戸時代には1657(明暦3)年初頭に発生した明暦の大火でも類焼を免れたことなどから次第に崇敬が篤くなり、柳森神社・椙森神社と併せ江戸三森と称され、稲荷祭としてその賑わいは江戸で一二を争うものであったという。
明治維新後の1872(明治5)年11月村社に列せられ、翌1873(明治6)年には社号をそれまでの烏森稲荷から烏森神社に改めた。
独特のデザインとなっている現社殿は1971(昭和46)年12月竣工。
境内紹介
JR新橋駅烏森口から、宝くじの高額当選を輩出することで有名な「新橋駅烏森口宝くじラッキーセンター」の脇を通り、虎ノ門方向へ。
信号をひとつ渡った先の左手に、木製の一の鳥居がある。
一見いかにも新橋の飲み屋街、といった感じの路地が実は参道。
この参道途中に第二授与所がある。
烏森神社の鳥居、社殿はとてもユニークな形状をしている。
都内では時折RC造で造営された現代的意匠の社殿を見かけるが、烏森神社はその先駆けではなかろうか。
故・郡菊夫氏による設計で、社殿に合わせ神輿庫・鳥居もオリジナルのデザインがなされた。
通常の鳥居で笠木や島木、貫の端部にあたる部分が簡略化されているのは、狭小な社地での工夫だという。
烏森神社の神輿渡御は、新橋駅および第一京浜を挟んだ向こう側に鎮座する日比谷神社と交互に隔年で行われ、蔭祭りの際は神輿庫内が公開される。
岡崎現代型の狛犬阿形さん吽形さん。
拝殿は階段を上ったところに。向拝部の天井に三つ巴の神紋が描かれている。
この階段脇には烏森神社オリジナル『心願色みくじ』の願い札書き処と結び処がある。
混雑時には御朱印待ちの人で溢れかえり、休憩所と化してしまう。
御朱印・御朱印帳
御朱印帳
烏森神社の御朱印帳は初穂料1,000円。
御朱印とは対照的に、黒地に烏紋、裏表紙は社紋の金刺繍という落ち着いたデザイン。
御朱印
烏森神社の御朱印は初穂料500円。
一緒に幸飴と無病息災御守が頂ける。
カラフルで人気があるが、社紋も(本来は左三つ巴とのこと)烏が稲穂をくわえ、森を飛んでいる様子という独特なものとなっている。
巴紋の色分けには、赤が恋愛・良縁、黄は金運・幸運・商売、青は厄祓・仕事学業、緑は健康家庭、と意味がある。
また「心願色みくじ」「幸運の鈴守」を御朱印と同時に受けた場合には、それぞれの透かし印が捺される。
御朱印他授与品を受けられるのは通常境内左奥の第一授与所で、ご対応は通常9時~16時。
行事などによって第二授与所での対応になる場合もある。
限定御朱印
烏森神社の大きな特色、数々の限定御朱印については次ページにてご紹介する。
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