吉原神社・吉原辨財天

2014年2月24日

吉原神社
御祭神:倉稲魂命・市杵嶋姫命
社格:旧無格社
所在地:東京都台東区千束3-20-2
最寄駅:東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅・入谷駅
URL:http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai00.html
御由緒:1872(明治5)年に新吉原遊郭の四隅に祀られていた開運稲荷大神、九郎助稲荷大神、榎本稲荷大神、明石稲荷大神と、往昔よりの玄徳稲荷社を合祀して、吉原神社を創建した。
江戸の代より吉原廊はたびたび大火に遭っているが、1875(明治8)年の全焼後、吉原大門外の高札場の所に社殿が造営されたという。
その後も数回の火災に遭い、1923(大正12)年の関東大震災で焼失後、1935(昭和9)年に新社殿を造営し現在地へ遷座した。
1945(昭和20)年の空襲で再び焼失、1968(昭和43)年に再建されたのが現社殿である。
1935(昭和10)年には吉原弁財天を合祀しているが、この弁財天には関東大震災にまつわる悲しい歴史がある。
この地は元々湿地帯であったところを埋め立てて造成しているが、池の一部は残された。
中島に弁天祠が祀られた池は、花園池・弁天池などと称され遊郭楼主たちの信仰を集めていた。
関東大震災により発生した火災から逃がれようとした遊女達は、廊の中では逃げ場がなかった。
このため池に飛び込まざるを得ず、490人が溺死したという悲劇が起こった。
その後池自体はNTT吉原ビル建設時に埋め立てられてしまったが、弁財天を祀る小社は残され吉原神社の奥宮として、震災殉難慰霊の観音像なども祀られている。
吉原神社 鳥居吉原神社 手水舎
入谷駅3番出口から隅田川方向へ進み国際通りを横断、次の信号を左折し道なりに進む。
三ノ輪駅からであれば国際通りを南進し、酉の市で有名な鷲神社の社前を通過後、すぐ脇の路地へ左折。
路地を道なりに進むと奥宮弁財天のそばに出る。
鳥居をくぐった左手が授与所、右手に手水舎がある。
吉原神社 狛犬 (1)吉原神社 狛犬 (2)
狛犬達は「東大寺南大門型」「招魂系」などと呼ばれる独特の風貌。
中国獅子の流れをくむ意匠だ。
吉原神社 拝殿吉原神社 本殿
吉原神社 石像吉原神社 お穴様祠
社殿と境内社のお穴様。
お穴様の地中には、社地を守護する神様がおられるとある。
つまりは地主神ということであろうか。

吉原弁財天本宮(吉原神社奥宮)

吉原弁財天本宮(吉原神社奥宮)吉原弁財天 吉原観音像
吉原神社から150mほど離れた飛び地に弁財天本宮(吉原神社奥宮)が鎮座する。
境内へ足を踏み入れるとすぐに観音像が目に入る。
関東大震災の殉難者を慰霊すべく、1926(大正15)年に建立された。
この観音様の周囲には、ほかにも数多くの石仏、地蔵像が安置されている。
線香やロウソクが用意されているので、参拝時には鎮魂の祈りを捧げていただきたい。
吉原弁財天 鳥居吉原弁財天 社殿壁画
鳥居をくぐり奥へ進むと弁財天の御影が描かれた弁財天の社殿。
2012(平成24)年に改修された際、東京藝術大学や武蔵野美術大学の学生・卒業生によって壁画や欄間彫刻が製作された。
吉原弁財天 弁天池 囲い吉原弁財天 弁天池
拝所前に花園池(弁天池)の名残をとどめる小さな池があり、鯉や金魚も放たれている。
やはり弁天様には水辺と多少の華やかさが似合う。
吉原弁財天 壁画吉原弁財天 拝所
吉原弁財天 奉納額吉原弁財天 弁天尊像
祭壇には裸弁天など二体の弁天像と仏像一体。
しかし御幣と神具もあり、他宗教との習合が色濃い弁財天らしさが現れている。
吉原神社 御朱印吉原弁財天 御朱印
吉原神社 御朱印(平成28年)吉原弁財天本宮(吉原神社奥宮) 御朱印
吉原神社と吉原弁財天の御朱印。
吉原弁財天は浅草名所七福神の一社。初穂料各300円。
2014(平成26)年の初回拝受時と2回目では、両社とも微妙な変更箇所がある。
境内入ってすぐ左の授与所にて受けられるが、千束稲荷神社の兼務社であることから不在も多い模様。
その場合は千束稲荷へお願いすれば受けられるとのこと。