羽田水神社・玉川弁財天

水神社・玉川弁財天

概要

境内はもともと古くから羽田水神社が鎮座していた土地で、戦後の強制接収で玉川弁財天が遷されてきた。
祭神に稲荷神は祀られていないものの、玉川弁財天は羽田七福いなりめぐりの別格として列せられ、御利益は金運長寿とされている。

御祭神 水波之咩命
社格
鎮座地 東京都大田区羽田6-13-8
最寄駅 京浜急行空港線 天空橋駅
東京モノレール 天空橋駅
URL http://suijin.hanedajinja.com

羽田水神社の御由緒

創建時期などは不詳。
海上安全や大漁を祈願する漁民の崇敬が篤かったという。
現在は羽田神社が祭祀を兼務する。
江戸時代から続く例祭・水神祭は、もとは1月・5月・9月の年三回行われていた。
かつては羽田各町から大漁旗や提灯で飾られた船が多摩川の沖に出され、漕ぎ手の若者たちが裸で川に飛び込み、拝み棒を目指し先を競って泳ぎ、御神酒を供えた後再び船に戻るという勇壮な祭りで、荒天でも中止されたことがないという。
1962(昭和37)年に漁業権が放棄されたことや、その後漁師の後継者不足などから規模が縮小され、毎年5月11日にのみ斎行されている。
現在は神職や大田漁業協同組合の関係者らが漁船で約2キロ先の海上に立つ「御神酒上げ棒」へ向かい、船上で神事を執り行ったのち、神札を御神酒上げ棒に取り付ける。

境内紹介

羽田水神社・玉川弁財天 境内羽田水神社 鳥居
羽田水神社羽田水神社 扁額
鴎稲荷から多摩川河畔に向かい、レンガ造の堤防跡が続く道を空港方向へ。
羽田赤煉瓦堤防は1918(大正7)年から1933(昭和8)年にかけて築造されたもので、公益社団法人土木学会が「日本の近代土木遺産」のうちAランク(国指定文化財クラス)としている貴重な遺構だ。
この堤防跡が終わり、現在の堤防に合流する付近が鎮座地。
住宅地側に階段を下り、境内へと進む。
ここはもともと水神社の社地だが、南端の木陰にひっそりと祀られており、社殿も弁財天に比較すると小規模。

玉川弁財天

玉川弁財天 社殿羽田水神社・玉川弁財天 本殿
羽田七福いなりめぐりの別格として名を連ねる玉川弁財天は、真言宗智山派の寺院・醫王山龍王院常楽寺(現・羽田2-26-11)の境外堂である。
龍王院に上宮が祀られ、もとは要島・鈴木新田付近(現在の羽田空港敷地内)にあった当社が下宮とされている。
江戸名所図会には「要嶋辨財天社 羽田村の南の洲崎にあり 故に羽田辨財天とも称せり(中略)本尊辨財天女の像は相州江島本宮巌窟辨財天と同躰にして弘法大師の作なりといへり」などと記され、神像には830(天長7)年空海作の銘があるという。
弘法大師が護摩の灰を固め自刻したと伝えられているが、江戸時代に教化のため各地へ頒布された複製品のひとつとみられる。
※参考:成宗弁財天社
社頭は、江戸新堀 小西九兵衛という酒問屋が全て造ったとされ、境内にあった常夜灯は付近を航行する船舶の目標だったという。
1945(昭和20)年9月、GHQによる強制接収のため、旧地から現在の水神社境内に遷された。
玉川弁財天 鰐口玉川弁財天 弁天池 石祠
向拝には注連縄が張られていながら、鈴緒の上部には鰐口もあり、神仏習合を色濃く残す。
脇の池に浮かぶ小島にも石祠が祀られている。

御朱印

羽田七福いなりめぐり 別格 玉川弁財天 御朱印

水神社の御朱印は授与されていない。
玉川弁財天については、正月の羽田七福いなりめぐり開催時期のみ、社殿にて朱印が受けられる。
初穂料100円。

羽田水神社・玉川弁財天の地図