赤坂日枝神社
御祭神 | 主祭神 大山咋神 相殿神 国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊 |
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社格 | 旧官幣大社・准勅祭社・別表神社 |
鎮座地 | 東京都千代田区永田町2-10-5 |
最寄駅 | 東京メトロ銀座線・南北線 溜池山王駅 東京メトロ丸ノ内線・千代田線 国会議事堂前駅 東京メトロ半蔵門線・有楽町線 永田町駅 |
URL | http://www.hiejinja.net/ |
御由緒
平安期の末、武蔵国江戸郷の領主・江戸氏が山王宮を祀り、さらに1478(文明10)年太田道灌が江戸城築城にあたり、川越山王社(川越日枝神社)を勧請したことに始まるという。
1590(天正18)年、徳川家康が駿河国駿府から武蔵国江戸に移封され江戸城を居城とした際、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守・徳川家の産土神とされた。
1604(慶長9)年、二代将軍徳川秀忠による江戸城改築の際、江戸城外の麹町隼町に社殿を新築して遷座した。
1657(明暦3)年、明暦の大火により社殿を焼失したため、四代将軍家綱は1659(萬治2)年に福知山藩主・松平忠房邸地を官収して社地にあて、現在地に遷座した。
1868(明治元)年11月、東京奠都の際に准勅祭社、その後1873(明治5)年に東京府府社に指定される。
さらに1882年(明治15年)には官幣中社、1912(大正元)年に官幣大社に昇格した。
萬治2年造営の旧社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されていたが、1945(昭和20)年5月の東京大空襲で焼失している。
しかし戦後の1949(昭和24)年に復興後援会が発足、1958(昭和33)年に現社殿が再建された。
6月に行われる例祭・山王祭は江戸三大祭(山王祭・神田明神神田祭・富岡八幡宮深川八幡祭)の一つに数えられる。
境内紹介
最寄りは溜池山王駅。
7番出口から左に向かい、突き当たりをまた左に。
すると「山王祭」と掲げられた看板が見えるので、その道に進むと表参道にいたる。
鳥居をくぐって石段を登る男坂、鳥居前を通過して左回りに坂を登る女坂があり、いずれも神門前に出る。
また、溜池山王駅5番出口から外堀通りを紀尾井町・四谷方向に進むとエスカレーターが設置された山王橋参道がある。
赤坂駅からきた場合はこの参道が最も近い。
他、赤坂見附駅から来た場合は、外堀通りから入れる裏参道が近い。
裏参道の北隣には後述する末社・山王稲荷神社の奉納鳥居と幟が並んでおり「稲荷参道」と称されている。
男坂を上った左手には手水舎、宝物殿のほか、さざれ石も。
神門の外側には随神像、内側には牝牡の木造神猿像。牝は子抱き。
拝殿前にも牝牡の神猿像。こちらは石造り。
快晴の空に屋根の緑青、社殿の朱が見事な調和を見せてくれる。
境内社
境内末社は境内北側に3社。
3社合殿の拝所があり、その奥に山王稲荷神社、猿田彦神社と八坂神社の合殿が鎮座している。
山王稲荷神社は日枝神社に社地を提供した松平忠房の邸内社であったといい、日枝神社が当地に遷座してきた際に関東地方には希少とされる縋形式春日造の現社殿が造営されたとみられる。
空襲の被害も免れ、この社殿は千代田区指定有形文化財となっている。
また、ここに置かれた一対の狛犬も千代田区指定有形文化財。
1820(文政3)年造で、元は神田神社境内に鎮座していた天王社の狛犬であったという。
御朱印・御朱印帳
御朱印帳
常時頒布のオリジナル御朱印帳は5種類ある。(各初穂料1,000円)
そのほか東京十社めぐり専用御朱印帳(初穂料1,500円)も。
御朱印帳の拝受は拝殿向かって左手の授与所、または神門外の社務所にて。
御朱印帳拝受時に御朱印を併せて受ける場合は、御朱印一社分については初穂料が不要。
赤坂日枝神社 官幣大社列格百年記念御朱印帳。初穂料1,000円(現在は頒布終了)。
御朱印
赤坂日枝神社 御朱印。初穂料500円。
社務所もしくは宝物殿で授与される。
二葉葵の印判に、皇居の裏鬼門を封じて護る「皇城之鎮(しずめ)」の墨書き。
日枝神社の御朱印を受けると、しおりと根付もいただける。
境内社の御朱印
末社・山王稲荷神社、八坂神社、猿田彦神社の御朱印。
八坂神社、山王稲荷神社については2016(平成28)年元旦より三が日限定で授与が開始された。
猿田彦神社の御朱印は、庚申(かのえさる、こうしん)の日にも授与される。
庚申の日限定で末社・猿田彦神社の御朱印帳も頒布される。
初穂料1,000円(御朱印一種分込み)。
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