日枝神社日本橋摂社
概要
御祭神 | 大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊 相殿神:浅間大神・菅原大神・稲荷大神 |
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社格 | 旧無格社・赤坂山王日枝神社摂社 |
鎮座地 | 東京都中央区日本橋茅場町1-6-16 |
最寄駅 | 東京メトロ日比谷線・東西線 茅場町駅 |
URL | http://www.hiejinja.net/sessha/ |
御由緒
天正年間(1573~1593年)、日枝神社の祭礼時に御旅所(神輿の休息所)があった八丁堀北嶋(鎧嶋)祓所まで神輿が船で神幸されたことに始まる。
1635(寛永12)年、現社地が正式に山王祭の御旅所・山王宮に定められた。
当時、山王宮・山王権現・天満宮(楓川天神)、薬師堂(茅場町薬師)などが祀られ、参詣者が数多く集まったという。
明治維新後の神仏分離令により薬師堂(現・鎧島山智泉院、当社裏に現存)は分離され、1877(明治10)年に日枝神社と改称し無格社に列せられる。
1915(大正4)年、赤坂日枝神社が官幣大社に昇格したのに伴って境外摂社とされた。
関東大震災の後、1928(昭和3)年に社殿を造営、境内末社の北野神社・稲荷神社・浅間神社を合祀している。
境内紹介
茅場町駅9番出口を出て右手すぐの「茅場町交差点」を右折すると、50mほどで石灯籠が並ぶ参道の入口に着く。
両脇をビルに囲まれた参道の先には石鳥居、そして「摂社 日枝神社」と刻まれた社号標が建つ。
現在合祀されている北野神社は江戸時代、茅場町天神・楓川天神などと称され、崇敬が篤かったという。
確定した資料が存在せず諸説ある「江戸二十五天神」において、そのうちの一社に比定されている。
末社・明徳稲荷神社
境内北側に兼務社・明徳稲荷神社(御祭神・宇気母智神)が鎮座している。
江戸時代・元禄年間の創建といわれ、元は南茅場町(現茅場町一丁目交差点付近)に鎮座していたが、関東大震災で被災しその後の区画整理によって遷座された。
さらに1945(昭和20)年3月の空襲で焼失、1949(昭和24)年に現・東京証券会館敷地に再建された。
しかし同会館の建設により、1963(昭和38)年6月現在地に再遷座されている。
なお、前述した楓川天神のそばに祀られていた翁稲荷社(合殿・桂馬稲荷)と、町内に鎮座していた祇園稲荷社が合祀されている。
御朱印・御朱印帳
境外摂社でありながら、独自の御朱印対応を行っていただける。
摂社オリジナルの御朱印帳も授与品に加わった。
御朱印
日枝神社日本橋摂社の御朱印は初穂料500円。
社殿左手の授与所にて受けられる。
本社・赤坂日枝神社と異なり双葉葵の印判は捺されず、「山王御旅所」の墨書き。
以前の御朱印
以前は本社同様「皇城之鎮」の墨書きがなされていた。
御朱印帳
日本橋摂社オリジナルの御朱印帳は初穂料1,000円。
色はこの他に赤もある。
日本橋摂社の地図
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