森稲荷神社・於咲波除稲荷神社
佃島の住吉神社近くには二ヶ所、計三社の稲荷神社が鎮座している。
それぞれは小さな無人社であるが、佃島の歴史や地勢に関係した神社である。
森稲荷神社
御祭神:稲荷大神(詳細不明)
社格:—
URL:—
所在地:東京都中央区佃1-8-4
最寄駅:東京メトロ有楽町線 月島駅
都営地下鉄大江戸線 月島駅
御由緒:佃堀左岸の住宅地の一角に鎮座している神社である。
徳川家康が江戸入府の折、摂津国西成郡佃村から招いた漁師・森孫右衛門一族は、漁業名主の特権を拝領し江戸湾での漁業権を一手に任されていた。
一族は隅田川河畔の鉄砲洲を与えられ、これが後に佃島と称される。
ここに居を構えた彼らは魚河岸の基礎となる海産物流通の仕組みを築いていった。
佃島の発展と住民の安泰を祈願するため、森家の敷地内であった現在地に稲荷神社を奉斎した。
佃住吉講にその管理が引き継がれており、現在に至る。
於咲波除稲荷神社
御祭神:稲荷大神(推測)
社格:—
URL:—
所在地:東京都中央区佃1-4-4
最寄駅:東京メトロ有楽町線 月島駅
都営地下鉄大江戸線 月島駅
御由緒:佃堀の右岸に、鳥居を共有して鎮座する二社の稲荷神社である。
両社とも創建時期・由緒は不明である。
波除稲荷神社については、扁額に「正一位」とあることから伏見稲荷大社からの勧請であることが伺える。
また、その社号や土地柄から津波や高波による水害除けなどを祈願して奉斎されたと推測できる。
無人であるため御朱印などの対応はなく、至近に位置する住吉神社でも対応は行っていない。
これは前述した森稲荷神社についても同様である。
鳥居脇に置かれた3個の力石は中央区有形民俗文化財の指定を受けている。
楕円形の安山岩で「さし石」と刻まれている。
「さし石」とは、この力石を持ち上げる動作を「さす」とか「あげる」と言ったことによる呼称。
佃島の若い漁業従事者らが、大正~昭和初期頃まで力競べを行っていたという。
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