鐵砲洲稲荷神社

2014年11月19日

鐵砲洲稲荷神社
御祭神:稚産霊神・豊受姫大神・宇迦之御魂大神
社格:旧郷社
URL:http://teppozujinja.or.jp/
所在地:東京都中央区湊1-6-7
最寄駅:JR京葉線 八丁堀駅
東京メトロ日比谷線 八丁堀駅
東京メトロ有楽町線 新富町駅
御由緒:841(承和8)年、長年続く凶作のため、住民達が自らの産土の国魂神を奉斎、日常の守護を祈願したのが創祀とされる。
なお、創建時期については承久年間(1219~1221年)という説も存在するが、神社側では上記説を採用している。
当時の鎮座地付近は元の東京湾最奥に位置し、諸船舶が往来する港であったため、船員の崇敬が篤かったという。
その後埋立が進行し現在の京橋付近へ遷座、更に室町時代末期の大永年中(1521~1527年)に氏子崇敬者達の願望により、現在の新京橋地区に新造された海岸へ遷座され八町堀稲荷神社と称された。
その後も埋立が進み、海岸が更に東方へ移り、1624(寛永元)年には南八町堀地続きとなった鉄砲洲の稲荷橋南東詰に再遷座する。
この頃、鉄砲洲に鎮座していた八幡神社を摂社とした。
江戸時代に入ると、鉄砲洲の港は大江戸の玄関口として、消費する米・塩・薪炭を始めとした大抵の物資が集まることとなり、港に集まる船員達によって海上守護の神としても崇敬された。
1703(元禄16)年と1829(文政12)年の二度にわたる火災で社記、傳記、古老の口書等の社史を記す資料がことごとく焼失している。
また、1790(寛政2)年に富士山の溶岩で築造された富士塚は「江戸名所図会」にも相当の規模感で描かれるなどしており、有名であったという。
1868(明治元)年、旧社地が外国人居留地に指定されたため、1869(明治2)年5月に旧本湊町30番地の現社地が換地として下賜され遷座した。
1872(明治5)年11月13日村社に列し、翌1873(明治6)年7月5日に郷社に昇格した。
1923(大正12)年の関東大震災により被災したが、1935(昭和10)年より復興し、社殿、神楽殿と摂社八幡宮、社務所、手水舎等の施設が整備された。
戦災を免れ昭和初期の神社建築を残す境内施設と、移築により規模は縮小しつつも中央区内に唯一現存する富士塚は、中央区民文化財に登録されている。
鐵砲洲稲荷神社 鳥居と社号標鐵砲洲稲荷神社 手水舎
八丁堀駅B4出口から南へ150mほど歩くと湊一丁目交差点。角の交番が目印。
ここまで来るとその20~30m先に社頭が見える。
鐵砲洲稲荷神社 社頭狛犬 (1)鐵砲洲稲荷神社 社頭狛犬 (2)
鳥居脇の一対の狛犬がなんともユーモラス。小首をかしげて可愛らしく出迎えてくれる。
鐵砲洲稲荷神社 拝殿前狛犬 (1)鐵砲洲稲荷神社 拝殿前狛犬 (2)
拝殿前の狛犬さんたちは凛々しく、いかにも神社を守護している強さを醸し出す。
鐵砲洲稲荷神社 神楽殿(2)鐵砲洲稲荷神社 拝殿
鐵砲洲稲荷神社 本殿 (1)鐵砲洲稲荷神社 本殿 (2)
昭和初期に造営された社殿や神楽殿は、装飾は質素ながらも重厚感漂う。
鐵砲洲稲荷神社 境内社鐵砲洲稲荷神社 二宮尊徳像
鐵砲洲稲荷神社 針塚鐵砲洲稲荷神社 力石
摂社八幡神社社殿には、住吉社・琴平神社・浅間社・三輪社・天満社も合わせ祀られている。
社殿脇には二宮尊徳像、針塚、力石なども。
鐵砲洲稲荷神社 鐵砲洲富士と富士浅間神社 (3)鐵砲洲稲荷神社 鐵砲洲富士と富士浅間神社 (1)
鐵砲洲稲荷神社 鐵砲洲富士と富士浅間神社 (2)鐵砲洲稲荷神社 鐵砲洲富士と富士浅間神社 御胎内
社殿右手奥は富士塚・鐵砲洲富士と富士浅間神社が鎮座する。
周囲をビルに囲まれていささか殺風景だが、富士塚の規模、雰囲気はなかなかのもの。
鐵砲洲稲荷神社 御朱印
鐵砲洲稲荷神社 御朱印。初穂料300円。境内右手の社務所にて受けられる。
ちょうど昼時に訪れたので参拝後、神社のそばにある御菓子司しげ田さんにて購入した稲荷寿司を持って、神社隣の鉄砲洲児童公園にて、直会のつもりでのんびり昼食をいただいた。
親切な老夫婦が営むしげ田さんにも、時間があればぜひお立ち寄りを。