赤塚諏訪神社
御祭神:建御名方命
社格:旧村社
所在地:東京都板橋区大門11-1
最寄駅:都営地下鉄三田線 西高島平駅
東武鉄道東上線 成増駅
東京メトロ有楽町線・副都心線 地下鉄成増駅
板橋区コミュニティバスりんりんGO(板橋市場-新高島平駅-区立美術館-下赤塚駅循環) 大門竹の子公園停留所
国際興業バス 増17系統(成増駅-区立美術館-高島平操車場) 大門竹の子公園停留所
URL:http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/007/007880.html
御由緒:創建年代は不詳。古伝によれば赤塚領主であった千葉介自胤が、長禄年間(1457~1461年)に信濃国・諏訪大社よりその御分霊を勧請し、武運長久を祈願したと伝えられる。
1630(寛永7)年頃に十羅刹女が配祀され十羅刹諏訪合社と称されるようになり、新編武蔵風土記稿には下赤塚村の鎮守であったことが記されている。
江戸末期の1866(慶応2)年、社殿廃頽のため本殿が再興された。
明治初頭の神仏分離令により、旧別当・真言宗常福寺の支配を離れるとともに十羅刹女の奉斎を廃し、1874(明治7)年4月3日村社に定められる。
1919(大正8)年4月27日に拝殿および幣殿を造営、1922(大正11)年8月15日には神饌幣帛料供進神社に指定された。
当社に伝わる特殊神事「田遊び」は、1976(昭和51)年徳丸北野神社とともに国の重要無形民俗文化財に指定された。
国道17号線(中山道)と都道446号(高島通り)の合流点近く、高島平ICの南付近に鎮座している。
徒歩であれば西高島平駅南口から、そばの歩道橋を利用して中山道沿いを1kmほど進んだ先の信号で左折するルートがわかりやすいだろう。
境内に入ってすぐ左手に田遊び神事の碑が建っている。
田遊びは毎年2月13日(旧暦の正月13日)の夜に行われる、その年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る予祝芸能の神事である。
神輿渡御の後、境内に設けた「もがり」(祭庭)の中で、所作と唱言によって一年間の農耕行事が演じられる。
参道の途中にはこの規模感の神社には珍しく、立派な随神門がある。
狛犬の造立年代は1882(明治15)年。
まったくの余談だが、この年は日本大学や國學院大學の起源となる皇典講究所や神宮皇學館(皇學館大学の前身)が設立されている。
拝殿前の夫婦イチョウは区登録文化財(天然記念物)。
樹高約20m、向かって右側の雄株の目通りが約5m、雌株は約4.2mという巨木だ。
漲る生命力が境内全体に満ちているようにさえ感じる。
境内社は8社が鎮座している。随神門付近に参道右手に秋葉神社(火産霊神)。
その脇に小祠が三社あり、社号が書かれていないため特定が困難だが、そのうち二社は東京都神社名鑑に記載されている八幡神社(品陀別命)・須賀神社(須佐之男命)であろう。
手水舎後方に石碑にて祀られる水神宮。
社地最奥に薬師神社・稲荷神社(保食命)・大国神社。
赤塚諏訪神社 御朱印。初穂料300円。
当社は赤塚氷川神社の兼務社だが、御朱印は当社社務所に書き置きが用意されている。
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