氷川神社(氷川町)


御祭神:素盞男尊・稲田姫命
社格:旧郷社
所在地:東京都板橋区氷川町21-8
最寄駅:都営地下鉄三田線 板橋区役所前駅
東武鉄道東上線 中板橋駅
URL:http://hikawa-jinja.sakura.ne.jp/
御由緒:鎌倉時代前期の1206(元久3)年頃、当地を所領とした豊島左衛門尉経泰が、石神井川河畔の景勝の地であった当地に、武蔵国一之宮氷川神社の分霊を奉じて創建された。
大田道灌により豊島氏本宗家が滅ぼされ豊島氏が没落した後も、板橋宿下板橋村の鎮守として崇敬されてきた。
明治維新後の1872(明治5)年、村社に列せられ、翌1873(明治6)年には郷社へ昇格した。
1889(明治22)年の火災で焼失し、由緒に関する史料や社宝が失われている。
社殿は翌1890(明治23)年に再建されたが、1945(昭和20)年5月の空襲で被災し再び灰燼に帰してしまう。
戦後の1954(昭和29)年に御造営奉賛会が結成され、1958(昭和33)年9月に現社殿の造営にいたった。


板橋区役所前駅各出口から国道17号線(中山道)を埼玉方向へ。
500m強先に氷川神社前歩道橋があり、この手前の交差点で左折すると参道の入り口がある。
拝殿まで約130mある参道の途中には二の鳥居。

狛犬は1845(弘化2)年4月の奉納。
笑みを湛えた阿形の表情がにくい。

景勝地の姿は見る影もないが、社殿の後方には今も石神井川が流れる。
境内そばには板橋区が旧河道を利用して造成した氷川つり掘公園があり、無料で釣りが楽しめるそうだ。


手水舎の後方に富士塚が現存し、境内社はここに集められている。
食行身禄の高弟、永田長四郎を講祖とする永田講により築かれたこの塚には、山頂に浅間神社(木花咲也姫神)の石祠が建てられ、小御嶽神社(磐長姫神)も祀られている。
1847(弘化4)年銘の奉納碑などから、板橋区内の富士塚では唯一江戸時代に築山されたと考えられており、区登録文化財となっている。
永田講は閉講したが、祭具は板橋区立郷土資料館に寄贈されており、「冨士永田講関係祭具一括」として有形民族文化財の指定を受けた。


天祖神社には天照皇大神のほか、大物主神・応神天皇が合祀されている。
厳島神社(市杵島姫神)、古峯神社(大山咋神)、三峯神社(伊邪那岐神・伊邪那美神)はそれぞれ独立して鎮座する。


稲荷神社(保食大神)の社殿周囲には小石祠や狐像が散在し、なかには「笠間稲荷大明神」と刻まれた碑も見られる。

諏訪神社(建御名方神)・淡島神社(少彦名神)は刻銘や案内表示がないが、山すそに並んだ小さな石祠がそれであろう。
近くには青面金剛像が二基、鉄柵に囲われて安置されている。

氷川町氷川神社ついては、社務所に現在御朱印の授与は行っていない旨掲示されている。