轡神社(轡権現社)

2016年9月2日


御祭神:倭建命
社格:旧無格社
所在地:東京都板橋区仲町46-3
最寄駅:東武鉄道東上線 中板橋駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/21_itabashi/21002.html
御由緒:創祀の年代は不詳だが、口伝では壽永年間(1182~1183年)には何らかの社が鎮座していたとされ、古くは轡権現社と称された。
江戸入府後、徳川家康が各地の巡視を行った際、当社に立ち寄り休息した際、家康(東照大権現)が乗馬に使用し当地に残し置いた轡(くつわ)、あるいは御履(おくつ)、馬沓(馬蹄の一種。藁や皮革・和紙などで作られた馬用の履物)を権現として祀ったのが社号の由来とされる。
古来、百日ぜきなどに霊験があるとされ、戦前までは全国から参詣者があり、講社も存在するなど賑わいを見せたと伝えられている。
百日ぜきや喘息の治癒を祈願する場合、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻を借りて玄関や勝手口に祀る。
そしてつま先の部分を少し焼き、その灰を一日一度指につけて舐め、これを七日間続けるのだという。
また麻は細く縒って首に巻く。
平癒の後、報賽の時には新しい馬わらじ一足と麻を奉納する習わしになっている。

中板橋駅南口から南側徒歩400mほどの住宅街に鎮座する。
至近にサミット板橋弥生町店があり、その屋上看板が目印になるだろう。
板橋区教育委員会の掲示によれば、社前の道は俗に鎌倉街道(旧中山道)といわれた古道で、この道が石神井川を渡るところが本来の「板橋」であるという説に言及している。
板橋区本町29-11に架かる「板橋」が地名の由来といわれているが、鎌倉街道(旧中山道)が江戸時代以降下板橋を通るようになり「板橋」も現在地に移されたという。
社頭の石鳥居は1931(昭和6)年4月の奉納。



狭小な境内いっぱいに植栽が豊かに茂り、阿形の狛犬などは埋もれ気味で顔だけ出している。
天水桶の片方にはホテイアオイも。
拝所の両脇には奉納された馬わらじが吊り下げられていた。

轡神社 御朱印。初穂料は300円を納めた。
境内右手の社務所(建物の左手入口)にて、書き置きで拝受。