三輪厳嶋神社

三輪厳嶋神社
三輪厳嶋神社は、当地で隣接して祀られていた三輪神社と厳嶋神社が合併した神社。
厳嶋神社には遭難しかけた源義経の舟を時化から救った伝承がある。

御祭神 大国主命・伊弉冊命・市杵島姫命
社格 旧無格社
鎮座地 東京都大田区大森東4-35-3
最寄駅 京浜急行電鉄本線 梅屋敷駅
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御由緒

厳嶋神社御由緒

1180(治承4)年、源義経が郎党を率いて多摩川を渡った際、二百十日の厄日に当たった。
吹き荒れた南西の強風に煽られた舟は押し流され、大森沖を漂流する。
舟から見えた小高い森に海上の平穏を祈願すると、不思議と風は止み時化が収まったという。
義経は舟を瀬島に着け森を訪ねると、ささやかな祀られた祠があり、そばに白蛇が現れた。
厳嶋大神の加護と感謝した義経は、里人に語り改めて森を拓いて社殿を修理し、舟を着けた処に注連竹を建てた。
これが当社創立の起源とされている。
1909(明治42)年、近隣にあった白山神社を合祀した。
(※ただし、三輪神社に合祀したとする説もある。)

三輪神社御由緒

江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)創建と伝えられ、第六天社と呼ばれた。
土地開発・五穀豊穣の神として、当地で農業に携わる人々に信仰された。

合祀以後

1928(昭和3)年、現在地に祀られていた三輪神社に、隣地(現社務所敷地)に鎮座していた厳嶋神社を合祀して三輪厳嶋神社となる。
1945(昭和20)年の空襲により焼失したが仮殿にて復興、1952(昭和27)年に現社殿が再建された。

境内紹介

三輪厳嶋神社 鳥居と社号標三輪厳嶋神社 手水舎
三輪厳嶋神社 浅間神社碑三輪厳嶋神社 神輿庫
梅屋敷駅から国道15号線(第一京浜)を横断し、少し奥に入った先にある分かれ道を左に入る。
道なりに700m弱東に進むと国道131号線(産業道路)に接続する。
鎮座地は横断歩道を渡ったところだが、社殿は東面しており、産業道路側の入り口は裏参道となる。
三輪厳嶋神社 拝殿三輪厳嶋神社 向拝部彫刻
三輪厳嶋神社 向拝部彫刻 弁財天三輪厳嶋神社 向拝部彫刻 蟇股
三輪厳嶋神社 向拝部彫刻 木鼻三輪厳嶋神社 本殿
厳嶋神社は源義経ゆかりとされているが、かつて当地の名産であった海苔にまつわる由緒がある。
創建以降、里人等は海上守護の神として厳嶋神社を尊崇していたが、ある年注連竹に黒い苔が生じた。
人々は恐る恐る口に運んだところ味があり、干したり生酢にして食すと殊に風味が良いことを発見する。
翌年の同時期を見計らって木枝を多く建てるとやはり苔が生じたことから、加工法が考えられ乾海苔の製造法が確立された。
海の苔、すなわち「ノリ」と称し鎌倉幕府に献上されたほか、江戸幕府にも開幕から幕末まで毎年将軍家に献上した、と伝えられている。
しかしながら、当地における海苔養殖は実際のところ、江戸時代がルーツとみられる。
5代将軍・徳川綱吉が発布した生類憐れみの令の影響で、浅草の漁師達が大森へ移住した際、川に打った杭に海苔が付着するのがわかり、野口六郎左衛門が浅草の地場産業であった紙漉きの技術を応用し板海苔の製造法を考案したとされる。

境内社

三輪厳嶋神社 銭洗の水鉢三輪厳嶋神社 銭洗弁財天
川端弁財天、弁天神社などの呼称をもつ三輪厳嶋神社だが、社殿向かって右手奥には銭洗弁財天が祀られている。
1957(昭和32)年に社殿が造営された。
祭神は市杵島姫命となっているが、弁財天自体を別に祀る意図があったのではないだろうか。

神輿渡御

三輪厳嶋神社 2017(平成29)年神輿渡御三輪厳嶋神社 祭礼日
5月最終週末には例祭が行われ、神輿も渡御される。
比較的多くの露店商も出ており、なかなかの賑わいぶり。

御朱印

三輪厳嶋神社 御朱印

三輪厳嶋神社は町会主体で護持されており、神職が常駐していない。
対応可能な人が社務所に滞在時のみ御朱印が受けられる。
初穂料300円。

三輪厳嶋神社の地図