城山熊野神社(志村熊野神社)


御祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命
社格:旧郷社
所在地:東京都板橋区志村2-16-2
最寄駅:都営地下鉄三田線 志村三丁目駅
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/21_itabashi/21006.html
御由緒:鎮座地(現在地)は古墳上で、平安~鎌倉時代初期にかけ豊島氏の庶流で当地を領した豪族・志村氏が城館(のちの志村城)を築いていた。
1042(長久3)年、志村将監がその城内に紀州熊野大社を勧請・奉斎したと伝えられる。
天喜年間(1053~1058年)、源頼義・義家は奥州安倍氏追討のおり、武運長久を祈願し境内に八幡社を祀った。
降って1456(康正2)年、下総を追われた千葉自胤が赤塚城へ入城した際、一族の千葉隠岐守信胤は志村城に入った。
赤塚城の支城となった志村城には城砦が築かれ、当社は城内鎮守として千葉氏より篤く崇敬され社殿の修築などがなされている。
現社地は二ノ丸で、本丸は現在の区立志村小学校グラウンド付近に築かれていたとされる。
新編武蔵風土記稿には志村と中台村の鎮守で、真言宗豊山派の見次山松寿院延命寺(現・志村1-21-12)が別当であったことが記載されている。
1872(明治5)年社格制定の際村社に列せられたのち、1924(大正13)年郷社に昇格し、志村七ヶ村(志村・小豆澤・根葉・前野・中台・西台・蓮沼)の総鎮守となった。
戦後間もない1949(昭和24)年、境内に城山幼稚園を設立し、現在に至るまで地域の幼児教育の一端を担っている。


志村三丁目駅を出て、そばにある都営アパートの脇を通り、社地の後方に沿って緩やかにカーブする坂をのぼる。
参道に至るには坂上で右折して社地と日本電産コパル社屋の間を抜けていく。
幼稚園裏を通り過ぎ、突き当たりで右に曲がるとすぐに参道の入口がある。
鳥居をくぐると左手に「板橋区史跡 志村城跡」の碑が建っている。
志村城は北に荒川、南に出井川(現在は暗渠化)が流れる丘陵上という地形から、守るに易く攻めるに難しと評される堅城であったが、1524(大永4)年、江戸城から敗走した上杉朝興と北条氏綱の戦いに巻き込まれ落城した。
その後は明らかではなく、支配下に置いた小田原北条氏が滅亡したため廃城になったと推測されている。
城址としては社殿西側に空濠の跡や土塁がわずかに残るのみである。

狛犬は1855(安政2)年2月の奉納。
頭部が小さくすっきりとした流線型の尾流れ。


絵馬殿は江戸時代中期から後期にかけ造営された旧拝殿を1980(昭和55)年に移築・改修したもの。
1795(寛政7)年に奉納された「伊勢太々神楽奉奏図大絵馬」をはじめ、殿内に所蔵される絵馬や扁額・寄進札は、2010(平成22)年に板橋区登録有形民俗文化財となっている。

1957(昭和32)年9月に造営された現社殿。
周囲の社叢は板橋区の天然記念物として登録されている。

絵馬殿の脇に境内社8社の合殿がある。
石神社(石析神)・溜下稲荷神社・桃花稲荷神社・八幡神社(誉田別命)・天照皇大神宮・御嶽神社(倭建命)・榛名神社・大山阿夫利神社がそれぞれ祀られている。
もう一社は社殿向かって右手に鎮座している招魂社。
1957(昭和32)年に旧本殿を移築し氏子の戦歿英霊が奉祀された。


城山熊野神社 御朱印。初穂料300円。
板橋区の資料などには志村熊野神社と記載されているが、東京神社庁のサイトなどには「城山」が用いられている。
御朱印も「城山」の墨書き。
拝受は境内参道左手、手水舎付近の奥にある社務所にて。