伊豆美神社
主祭神:大國魂大神(大国主尊)
一の宮:小野大神、二の宮:小河大神・三の宮:氷川大神・四の宮:秩父大神・五の宮:金鑽大神・六の宮:杉山大神
社格:旧郷社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/26_kitatama/26174.html
所在地:東京都狛江市中和泉3-21-8
最寄駅:小田急小田原線 狛江駅
小田急バス狛01系統・こまバス(北ルート・病院) 南和泉停留所
御由緒:平安時代、宇多天皇の御代であった889(寛平元)年9月20日、現・府中市鎮座の大國魂神社の御分霊を勧請し、旧北谷村字大塚山(現・元和泉2丁目36、現在は水神社の鎮座地)に六所宮として鎮祭された。
1550(天文19)年、多摩川の洪水により社地が流されたため、二年後の1552(天文21)年に現在地へ遷座された。
江戸時代には、当地を領していた井伊、石ヶ谷、松下の諸家からの崇敬が篤く、例祭時には金米の奉納が恒例であったという。
1868(明治元)年に社号を伊豆美神社と改称した。
「伊豆美」は当地名「和泉」にちなんだ当て字(万葉仮名と思われる)であるという。
1871(明治4)年10月に村社に列し、次いで1883(明治16)年8月には郷社へ昇格している。
狛江駅から北西1.1kmほどの住宅街に鎮座する。
西に隣接する和泉小学校側からも入れるが、こちらは正参道ではない。
大國魂神社同様、社殿は北面しているため正参道は北から南に伸びる。
参道途中の二の鳥居は江戸時代の1651(慶安4)年に石ヶ谷貞清が奉納したもの。
旧武蔵国内最古の石造鳥居(狛江市指定重宝)で、関東三大鳥居(他は日光東照宮と鶴岡八幡宮)に数えられる。
石ヶ谷貞清(1594~1672年)は、和泉の一部を領していた石ヶ谷清正の弟で、島原の乱や慶安の変(由比正雪の乱)平定などに於いて功績を挙げ、江戸北町奉行などを勤めた旗本である。
鳥居は「慶安の変」の三ヶ月前に寄進され、奉行就任の直後に事件が起きている。
伊豆美神社には、一般的な手水舎の他に、手動ポンプの手水も併設されている。
境内地周辺は5~6世紀ごろの古墳が点在する「狛江古墳群」で、伊豆美神社の至近にも兜塚古墳がある。
祭祀に関わる土地に建つ神社というのは、どこか力強い気を感じさせる。
境内社が三社。
拝殿向かって右手に靖國神社。護国ではなく靖國とは珍しい。砲弾が安置されている。
靖國神社の隣には神明宮。
御祭神は天照皇大神・豊受皇大神・素盞嗚尊・熊野大権現・柳久保稲荷大明神・水速能売大神・菅原道真公霊位。
拝殿向かって左手に福徳稲荷神社・諏訪神社の合祀殿。
御祭神は福徳稲荷大明神・諏訪大明神・建御名方主大神・白幡菅原朝臣・源頼朝公霊位。
社殿左脇には小石祠が並ぶ。そのまま奥へ進むと裏には御神木のアカマツを含む林になっている。
御神木そばにも小石祠が一座。
社殿の右側に回り脇の細道を進むと御霊神社が鎮座している。
多摩川河畔から遷座してきた際にここに仮宮が置かれた。
また、元々ここには御霊大神が祀られていた跡地だと伝えられ、塚状になっていたという。
この由緒に基づき、1997(平成9)年に御霊神社が造営された。
伊豆美神社 御朱印。初穂料300円。
参道二の鳥居の右手に宮司様宅兼社務所があり、そちらでお願いできる。
なお、調布市佐須鎮座・虎狛神社の御朱印も授与していただける。
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