赤羽北諏訪神社

2015年11月17日


御祭神:建御名方命
社格:旧村社
所在地:東京都北区赤羽北3-1-2
最寄駅:JR埼京線 北赤羽駅
URL:http://ak8mans.com/suwa.htm
御由緒:旧別当寺であった真頂院(赤羽3-16-3)の寺伝によれば、1369(応永3)年9月、同院第一世秀善和尚が信州諏訪大社より勧請したと伝わる。
新編武蔵風土記稿には、末社に丸山権現と山王社があり、丸山権現が旧袋村の鎮守で後に当社に改められたことや、山王社の傍の石碑に1194(建久5)年勧請と彫られているが、その出所は不明であることが記されている。
1873(明治6)年、村社に列格した。
現在は赤羽八幡神社の兼務社である。



北赤羽駅赤羽口から環八を志村方向へ。
赤羽北2丁目の交差点で環八を横断し、南に続くゆるい坂(宮の坂)を300mほど登ったところに鎮座している。
実はこの宮の坂は参道を分断している。
参道は神社そばの交差点から東に60mほどの場所からであり、社号標もそこにある。
宮の坂にいたる手前には庚申待供養塔群が安置されている。


余談だが、元々の袋村鎮守であった丸山権現から諏訪社に変更された歴史や、境内社として残されていないことに疑問を感じた。
丸山権現について調べたものの、どのような信仰だったのか全くもって判らない。
しかし、代わりに興味深いことが判ってきた。

  • 埼玉県上尾市と伊奈町の境界付近に、古代蓮で有名な原市沼という沼がある。
  • この沼は丸山沼とも呼ばれており、近くには赤羽という地名もある。
  • 付近を領地としていた伊奈氏は頭殿権現社を祀っていたとされる。
  • 丸山の頭殿権現には龍蛇の伝承があり、諏訪神も本来は蛇神であるという説がある。
  • 埼玉県比企郡吉見町江綱の元巣神社境内にある頭殿大神社は諏訪さまと呼ばれていたという。

以上のことから、頭殿権現は諏訪神と同一視できる可能性があると考えた。
ここで一連の経緯を推測してみる。
まず、伊奈付近から袋村に移住してきた人々が氏神の頭殿権現(=丸山権現)を祀った。
後に別当寺が勧請した諏訪社が鎮守とされるが、元から祀られていた丸山権現は末社として残された。
明治になり、神仏分離令の影響で諏訪社に合祀されたが、同一神なので丸山権現の名が残らなかった。
もしくは権現であるがゆえ廃仏毀釈の影響で廃された。
…と考えたが、あくまでも筆者独自の一論である。

「袂杉」と呼ばれる旧御神木の切株が本殿脇に残されている。
かつて第一世秀善和尚が諏訪から両方の袂に入れて持ってきた二本の杉苗を、社殿の前後に植えた。
後方の杉は早くに枯れてしまい、前方に植えられた杉が1961(昭和36)年に伐採されるまで長らく御神木だったのだという。
現在の御神木は、社殿向かって左手にあるかやの木で、これもなかなかの大樹である。

境内社は三つの社殿に計七社が祀られている。
いずれも境内北側に鎮座し、須賀神社・稲荷神社・大六天神社・稲荷社・八幡社の合祀殿、猿田彦社、白山社となっている。


また、境外末社として水神宮が隅田川沿いの浮間中央病院の隣地(赤羽北2-21-19)に鎮座している。


赤羽北諏訪神社 御朱印。初穂料300円。
社地左手の神札所(社務所)にて、書き置き形式で拝受。
本務社の赤羽八幡神社でも拝受可能という情報が見られるが、お聞きしたところ現在は対応していないそうだ。