赤羽八幡神社

2015年11月19日

赤羽八幡神社
御祭神:品陀和気命・帯中津日子命・息長帯比売命
社格:旧郷社
所在地:東京都北区赤羽台4-1-6
URL:http://ak8mans.com/
最寄駅:東京メトロ南北線 赤羽岩淵駅
埼玉高速鉄道線 赤羽岩淵駅
JR京浜東北線・埼京線・湘南新宿ライン・宇都宮線・高崎線 赤羽駅
御由緒:784(延暦3)年、朝廷より奥州鎮圧を命ぜられた坂上田村麿呂が当地に陣を張った際、八幡三神を勧請し、武運長久を祈願したのが創祀と伝わる。
長徳年間(995~999年)には源頼光が社領を寄進し社殿を再興、久寿年間(1154~1155年)には源頼政が修造したとされる。
室町~戦国期には太田家による崇敬・保護が篤く、応永年間(1394~1428年)から正長年間(1428~1429年)に太田資清(道真)が社領一貫文を寄進し、1469(文明元)年には資清の嫡子である太田持資(道灌)による社殿再建があったとされる。
また、1551(天文20)年に太田新六郎康資(道灌の曾孫)が社領一貫文を寄進したという八幡禰宜・朝日輿五右衛門宛の寄進状が現存する。
江戸時代には岩淵郷の五ヶ村(赤羽根村・稲付村・下村・袋村・岩淵本宿)の総鎮守となった。
1649(慶安2)年には社領七石余の朱印が与えられ、以後も代々将軍家より社領寄進が続けられている。
明治に移り、1872(明治5)年11月19日、赤羽村の村社に定められた。
1883(明治16)年の上野~熊谷間の鉄道敷設によって、旧別当寺の宝幢院(現・赤羽3-4-2)とつながっていた社地が分断されてしまう。
さらに1887(明治20)年には社殿後方の土地を、管轄していた東京府が陸軍工兵大隊の移駐先として供出した。
その後も明治~大正期には鉄道用地として社地がたびたび削られている。
1923(大正12)年の関東大震災で被災し拝殿が倒壊、1931(昭和6)年に再建され現社殿となっている。
1932(昭和7)年12月1日、郷社に昇格した後、終戦を迎える。
1984(昭和59)年、東北・上越新幹線ならびに埼京線計画のため、現社務所の地下を通るトンネル(赤羽台トンネル)が敷設された。
これにより神域を新幹線が通過する、全国でも珍しいロケーションが生まれている。
1988(昭和63)年には本殿が改築された。
また近年、風水思想の『下元八運期』に基づいて奉製された授与品が「8」を横にしているデザインであることから、ジャニーズの関ジャニ∞のファンに注目されることとなり、人気を集めている。
赤羽八幡神社 社号標と参道入口赤羽八幡神社 一の鳥居
赤羽八幡神社 参道石段赤羽八幡神社 新幹線
JR赤羽駅西口から高架沿いを北に約600m弱。
赤羽岩淵駅からは2番出口から赤羽交差点を左折、都道445号線(通称・福寿通り)を進み、高架を抜けたところで右折。
社号標を目印に、高架下をくぐり参道に向かう。
社地は台地の突端部であるため、少々急な石段を登る。
境内南端部は、写真のように新幹線や埼京線が行き交う姿が見られるという人気のスポットである。
赤羽八幡神社 神楽殿赤羽八幡神社 拝殿
赤羽八幡神社 本殿赤羽八幡神社 境内全景
かつて陸軍用地として接収された社地後方は、現在では学校法人星美学園の敷地である。
境内からは土器や古墳跡が発見されており、当地一帯は古くから生活の拠点であったことが伺える。
しかしながら明治以後は陸軍や鉄道など役所の都合に翻弄されており、現在も東京都の補助第85号線道路計画に参道が組み入れられているとのことである。
工事は未着工であるが、地図を見る限り無用な計画に見える。
ぜひとも現実的な配慮を東京都建設局には期待したい。
赤羽八幡神社 古峯神社赤羽八幡神社 大国主神社・疱瘡神社・稲荷神社・住吉神社・大山神社・阿夫利神社・御嶽神社・北野神社
境内社は社殿の両脇に分かれて鎮座している。
社殿左手(西側)には古峯神社、大国主神社・疱瘡神社・稲荷神社・住吉神社・大山神社・阿夫利神社・御嶽神社・北野神社の合祀殿。
赤羽八幡神社 天祖神社・春日神社赤羽八幡神社 招魂社
社殿右手(東側)に天祖神社・春日神社の合祀殿、その奥に招魂社。
なお、招魂社は陸軍工兵隊の戦没者と赤羽出身の戦没者を奉斎する神社で、別社格とされている。
赤羽八幡神社 御朱印帳
赤羽八幡神社 御朱印帳。初穂料は御朱印分を併せ1,600円を納めた。
下元八運のデザインなので2024年までの頒布になるのだろうか。
赤羽八幡神社 御朱印赤羽八幡神社 御朱印
赤羽八幡神社 御朱印。初穂料300円。
奉拝の文字に掛かる「下元八運」は金泥印。
書き手さんが異なったことでお墨書きに若干違いが。
境内左手の授与所で拝受可能。