亀戸水神宮(亀戸水神社)
御祭神:弥都波能売神(罔象女神)
社格:旧無格社
所在地:東京都江東区亀戸4-11-19
最寄駅:東武鉄道亀戸線 亀戸水神駅
URL:http://katorijinja.jp/shrine.html
御由緒:創建は不詳だが、周辺が新田開墾された戦国時代の享禄年間(1528~1532年)頃、当社も成立したとみられる。
大和国吉野の丹生川上神社を勧請し、水害除けのために堤防を築いた際、その上に鎮斎したと伝えられている。
新編武蔵風土記稿には「寶蓮寺持」と記され、別当寺が東林山華蔵院寶蓮寺(現・亀戸4-35-12)であったことがわかる。
当社の鎮座地域は下ノ圖子と呼ばれていたが、1900(明治33)年に亀戸町が成立すると下の組と改称、志茂陸会を結成して維持に当たった。
明治末期までは巨木が鬱蒼と繁る森に囲まれ「水神森」と呼ばれていたが、付近に民家や工場が激増したため次第に樹木が枯死し、往時の面影は失われている。
1945(昭和20)年3月10日の大空襲により大きく被災し荒廃するが、前年に結成された亀戸水神宮再建奉賛会の尽力により1960(昭和35)年6月に再建された。
現在は亀戸香取神社の兼務社となっており、亀戸水神奉賛会により護持され毎年6月第一日曜日に例祭が斎行されている。
最寄りの亀戸水神駅を出て線路を横断し、200mほど先に行ったところが鎮座地。
社地に向かって左側の路地は「水神通り」と呼ばれ、明治通りまで直線で結ばれている。
開墾当時は旧中川(もとの利根川下流域)の水害対策はまだ行われておらず、治水は農民にとって最重要課題だったといえる。
江戸時代以降は利根川および荒川の付け替えが進められ、当地では文久年間(1861~1864年)頃から江戸野菜のひとつである亀戸大根が生産されるにいたった。
その後、帝都となった東京が膨張し、この地区も次第に農地から宅地に姿を変え、大規模な水害に悩まされることもなくなった。
しかし現在でも農家の血を受け継いだ人々が多く居住し、当社とその信仰を護り続けている。
亀戸水神宮(亀戸水神社)御朱印。初穂料300円。
本務社・亀戸香取神社の授与所にて拝受可能。
墨書きや神璽の社号は「亀戸水神社」となっている。
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