西久保八幡神社

2015年12月12日


御祭神:誉田別皇命・息長帯比売命・帯中日子命
社格:旧郷社
URL:http://www.hachimanjinja.or.jp/
所在地:東京都港区虎ノ門5-10-14
最寄駅:東京メトロ日比谷線 神谷駅
東京メトロ南北線 六本木一丁目駅
都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅
都営地下鉄三田線 御成門駅
東京都営バス(渋88系統) 虎ノ門五丁目停留所
御由緒:寛弘年中(1004~1012年)、源頼信によって石清水八幡宮を勧請、霞ヶ関の地に創建されたといわれる。
その後太田道灌による江戸城築城に際し、現在地に遷座された。
1600(慶長5)年、関ヶ原の戦に際し徳川秀忠の正室・崇源院は、家康・秀忠の戦勝と安全を当社に祈願した。
その報賽として社殿造営の遺志を残しており、1634(寛永11)年に社殿が造営されている。
この時、同時に御神体として八幡宮座像・仲哀天皇座像・神功皇后座像・不動明王立像・愛染明王座像も奉納されたが、1723(享保8)年の火災により焼失した。
翌年には土蔵にて社殿が再建されたが、1811(文化8)年に再び火災に遭い、1818(文政元)年に再建された。
江戸時代には江戸八所八幡の一つに数えられ、周辺は門前町として賑わったという。
また1770(明和3)年・1815(文化12)年・1816(文化13)年には大相撲も行われ、落語や講談で有名な横綱・阿武松緑之助も取組を行っている。
明治維新まで当社は八幡山普門院と称する東叡山の末寺であったが、神仏分離後は神社として独立した。
1872(明治5)年、郷社に列したのち一時荒廃するものの、1909(明治42)年には大修理が施されている。
1945(昭和20)年3月、5月と二度の空襲で被災し、文政元年造の社殿はじめ神輿庫、社務所、神楽殿などを焼失した。
1953(昭和28)年8月、総桧木造による社殿を再建、翌1954(昭和29)年には町内御輿庫も再建、同時に手水舎が氏子総代により奉納された。
2015(平成27)年7月、空襲で焼失したままであった御本社神輿が、氏子の総意協力のもと戦後70年ぶりに復興されている。

最寄りは神谷駅。2番出口から国道一号線・桜田通りを東京タワー方向に南進。
200mほど行くと都営バス「虎ノ門五丁目」のバス亭があり、その目の前が参道の入口である。
鳥居をくぐると石段の男坂、左手には女坂の両参道に分かれる。


石段を上ると二の鳥居、一対目の狛犬が迎えてくれる。
奉納年代は確認できないが、造型的には江戸中と呼ばれる型。

拝殿前にもまた狛犬。鳥居脇の一対にくらべると装飾が豊かであるあたり、江戸後期から明治あたりの奉納か。

戦後再建された社殿。背後にそびえる品のない建築物が若干目障りだが、気にしても仕方あるまい。
境内の静寂さに包まれながら、心静かに祈りを捧げる。


境内北側には三社の境内社。
向かって左側から人麿社(柿本人麻呂)、稲荷社(宇迦之御魂神)、庚申社(猿田彦神)がそれぞれ祀られている。
なお、この稲荷社には葺城稲荷神社(虎ノ門4-1-3)が社地一帯の再開発に伴い、仮遷座されている。

※西久保八幡神社では2013(平成25)年12月から御朱印の授与を休止されている。
「昨今の現状を鑑み」と記されているあたり、マナーをわきまえない参拝者が迷惑でもかけたのであろうか。
江戸八所八幡の御朱印が揃わないのが非常に残念であるが、「当面の間」のお言葉に期待して再開を待つしかない。