幸稲荷神社(芝公園)

2014年9月22日


御祭神:伊弉冉神・足仲彦命(仲哀天皇)・誉田別命(應神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・倉稲魂神
社格:旧村社
URL:http://www.saiwaijinja.or.jp/
所在地:東京都港区芝公園3-5-27
最寄駅:東京メトロ日比谷線 神谷町駅
都営地下鉄三田線 御成門駅
御由緒:1394(応永元)年4月、武蔵国豊島郡岸之村(現:港区芝公園2丁目2号、増上寺黒門前付近)の鎮守として勧請、創建された。
社号は当初、岸之稲荷大明神と称されていたが、氏子・崇敬者中に願望成就、商売繁昌、子孫繁栄などの幸事が多く続いたことから、1624(寛永元)年に現社号である幸(さいわい)稲荷神社と改称された。
また、寛永年間には御府内古跡十三社の一社に定められたと伝わる。
1713(正徳3)年、旧社地が徳川家用地として上地された為、現在地に遷座している。
江戸時代には社地の一部を貸地として、軍書講談、寄席、上弓場、水茶屋等が設けられ、付近は当時大変賑わったという。
明治維新後の1870(明治3)年に布告された神仏分離令に基づき、芝公園内に鎮座していた以下の神社を合祀した。
熊野神社(國常立神・伊邪那岐神、旧芝公園四号地鎮座)
瘡護神社(豊宇迦比売神、旧芝公園十八号地鎮座)
稲荷神社(大氣都比売神、旧芝公園二十一号地金地院内鎮座)
三峯社(大山咋神)
茅野天満宮(旧芝公園十二号地鎮座)と松野天満宮(旧芝公園十六号地鎮座)については、現在境内末社として残っている。
1874(明治7)年4月2日には村社に列している。
1945(昭和20)年3月の空襲で社殿・社務所などは焼失するが、神霊代・古文書・縁起書などは無事に持ち出され被害を逃れた。
1960(昭和35)年11月に社殿が再建され、現在にいたる。

当社は私立芝学園校舎そばに鎮座している。
神谷町駅(桜田通り)と御成門駅(日比谷通り)から、両通りを結ぶ道の途中に「芝学園下」信号があるので、そこで路地に入り突き当たりを右に進むと通り沿いに鳥居が見えてくる。
社頭の社号碑は「幸稲荷神社」「瘡護神社」と二つ並ぶ。

社殿の扁額にも「幸神社」「瘡護神社」の二つが掲げられている。
社頭の表記とは微妙に違いがあるのが面白い。
合祀された末社の一つである瘡護神社のみが正式な社号と同列に扱われていることも興味深い。
瘡護稲荷はかつて病気平癒祈願で参拝者が多かったそうなので、それ故か。
境内社は二社、茅野天満宮・松野天満宮(両社とも御祭神は菅原道真公)が合祀された小祠が鎮座する。
その脇には慶長年間(1596~1615年)より伝わるという社宝・御祠石(みふくらいし)が据え置かれている。
この石に水をかけ心願すると、熱病は癒え、子供の夜泣きも止むとの言い伝えがある。

境外末社 タワー大神宮



東京タワー大展望台2階に鎮座する「タワー大神宮」は、幸稲荷神社の境外末社で、祭神は天照皇大神。
東京タワーを経営する日本電波塔株式会社が1977(昭和52)年7月11日、タワー創立20周年を記念して伊勢・皇大神宮を勧請奉斎した正式な神社である。
東京タワー建設時、地鎮祭の祭祀を行ったのが幸稲荷神社で、タワー大神宮創建にも関わっている。


幸稲荷神社 御朱印。初穂料300円。社殿右手奥の社務所にてお願いできる。
御祭神など由緒書き・神社の公式ページなど各所にてばらつきがあるが、それはさておき、やはりこの御社号には縁起の良さを強く感じる。

タワー大神宮 御朱印。初穂料300円。
2016(平成28)年現在、一般参拝者には授与されておらず、幸稲荷神社でも対応はされていない。
東京タワーへ団体見学の事前予約を行い御朱印を希望した場合にのみ、当日その来場者に対し和紙に印刷された書き置き形式で授与される。