渋江白髭神社(客人大権現)

葛飾区

渋江白髭神社(客人大権現)
御祭神:猿田彦命・大己貴命・建御名方命
社格:旧村社
所在地:東京都葛飾区東四つ木4-36-18
最寄駅:京成電鉄押上線 四ツ木駅
URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~ksg/
御由緒:創建時期は未詳だが、口伝では860(貞観2)年9月、あるいは治承年間(1177~1180年)ともいわれている。
旧別当・清宝山観正寺(明治2年に廃寺)が1491(延徳3)年に建立されていることから、当社の創建は少なくともそれ以前と推測される。
当地一帯は平安末期に領主・葛西清重が伊勢神宮に寄進し「葛西御厨」と呼ばれた神領である。
1398(応永5)年の「葛西御厨田数注文写」内に当地の旧名「澁江」の名が見えることから、創建時期を同時代付近とみる説もある。
江戸時代には「葛西客人大権現」と称され、新吉原をはじめ本所竪川の水茶屋、大塚音羽町・深川常盤町・やぐら下、千住小塚原など各花柳界の信仰者が多く、文化文政期から天保期には最も隆盛を極めたとされる。
特に六代将軍・徳川家宣の側室・左京の局(月光院、お喜世の方)が当社への信仰により後の七代将軍となる家継を懐胎したことから、評判が広まり、遠近からの参詣者が絶えず賑わった。
新編武蔵風土記稿・澁江村の項には「白髭・八王子・客人権現合社 村ノ鎮守」との記載があり参詣人の賑わいや霊験譚に触れている。
祭神の客人(まろうどとは稀に来る人の意で、めったに来訪しない貴い賓客を指す古語。
越国白山より比叡山に飛び遷られ給うたため「客人」大明神と称され、のち大権現に祀られたものであるという。
日吉山王二十一社のうち山王七社(上七社)のひとつ・客人権現社(日吉大社白山宮)との関係が推測されるが、勧請を証明する史料は発見されていない。
明治維新を迎えた頃は客人社、三社神社、澁江神社などと称されていたが、1872(明治5)年村社に列せられ社号を白髭神社と改めた。
1907(明治40)年には神饌幣帛料供進神社に指定されている。
渋江白髭神社(客人大権現) 鳥居と社号標渋江白髭神社(客人大権現) 手水舎
最寄りの四ツ木駅を右に出て、線路沿いを北に向かう。
高架下にある駐輪場の終わり付近で二股に別れる道を右手に約400mほど進んだ先に鎮座している。
当社の北西、国道6号線近くに鎮座する四つ木白髭神社と混同されやすいので注意が必要だ。
渋江白髭神社(客人大権現) 道標群渋江白髭神社(客人大権現) 道標群
渋江白髭神社(客人大権現) 狛犬 吽渋江白髭神社(客人大権現) 狛犬 阿
渋江白髭神社(客人大権現) 文政6年常夜灯渋江白髭神社(客人大権現) 神楽殿
手水舎の後方には近隣に置かれていた文政・天保期に造られた当社への道標が境内の片隅に集められており、他の石造物などとともに当時の崇敬の篤さを物語る。
神楽殿は1956(昭和31)年の造営、その脇の神輿庫は1894(明治27)年の造営。
渋江白髭神社(客人大権現) 社殿渋江白髭神社(客人大権現)  蛙又 龍
渋江白髭神社(客人大権現)  向拝渋江白髭神社(客人大権現) 木鼻 獅子
社殿は1848(嘉永元)年造営の後、1916(大正5)年9月に本殿の修築とあわせ高欄が造営されている。
御神体は男根石といわれており、子授けや性病平癒、縁結びなどに霊験があるとされてきた。
また諸人愛敬、商売繁昌、芸能上達の御神徳があるとされ、江戸時代には花柳界のほか遊郭関係者、芝居茶屋、料飲業者を中心に崇敬を集めた。
渋江白髭神社(客人大権現) 境内末社渋江白髭神社(客人大権現) 境内
境内末社は稲荷神社、皇産霊神社、大鳥神社・嚴嶋神社の合殿。
稲荷神社(宇迦御魂命)の創建時期は不詳だが江戸時代より鎮座していたことがわかっている。
1914(大正3)年、村内の無格社・豊穀稲荷神社を、2008(平成21)年に元町内鎮座の稲子稲荷神社を合祀している。
皇産霊神社(高皇産霊尊・大山咋命)も創建年代は不詳。
大正3年(1914)村内より無格社・皇産霊神社(旧第六天社)を合祀している。
大山咋命については旧別当の観正寺境内に山王社が祀られていた事実、「白髭八王子客人権現合社」という当社旧称などからも所縁が深いものとみられる。
大鳥神社(日本武尊)と嚴嶋神社(市杵嶋姫命)については、昭和期まで単独で祀られていた大鳥神社に、江戸期に鎮座していた嚴嶋神社(弁天社)を合祀している。

渋江白髭神社(客人大権現) 御朱印
渋江白髭神社 御朱印。初穂料300円。
境内左手の授与所にて受けられる。