牟禮神明社(牟礼神明社)

2016年10月3日


御祭神:天照皇大神
相殿神:倉稲魂大神
社格:旧村社
所在地:東京都三鷹市牟礼2-6-12
最寄駅:京王電鉄井の頭線 三鷹台駅
みたかシティバス三鷹台ルート 牟礼3丁目停留所
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/26_kitatama/26147.html
御由緒:
1537(天文6)年7月、扇谷上杉家当主・上杉朝定は、北条氏侵攻に対する防衛線かつ江戸城奪還の拠点とすべく、老臣・難波田弾正憲重を深大寺城に配置、増強を図る。
北條氏綱は家臣の北條治部少輔綱種(江戸城主・のちに北條綱高と改名)に、深大寺城への備えとして牟礼と烏山(世田谷区)へ砦を築くよう命じた。
綱種は元の名を高橋将監種政といい、牟礼高橋氏の祖である。
数々の武功により北條姓を賜ったが、牟礼を開墾した子息・北條常陸之介康種の代に高橋姓に復した。
1537(天文6)年11月15日、綱種は牟礼に築いた陣内鎮護のため、芝・飯倉神明宮(現・芝大神宮)の御分霊を勧請し、現在の鎮座地である高番山に祀った。
1868(明治元)年、太政官布告神仏判然令に基づき、稲荷山(高山)に祀られていた稲荷神社が氏子の総意によって合祀されている。
当社の宮司は勧請元・芝大神宮の例大祭(だらだら祭り)に毎年参列している。


三鷹台駅を出て左、駅前通りを南に約650m進むと左手に三鷹消防署牟礼出張所がある。
この建物の裏手に、丘上の地形にこんもりと生い茂った社叢が確認できる。
消防署を過ぎたところで細い路地に入っていけば、その先数十mで表参道の入口だ。


現社殿は1850(嘉永3)年の造営。
由緒の通り、標高60mのこの丘は小田原北条氏の城址である。
祭神の御神徳故か、ここが戦火にさらされることはなく、北条氏綱は上杉朝定がいた河越城を直接攻め、朝定は松山城へ敗走した。
小田原北条氏滅亡後は廃城となったが、当社は鎮守として高橋氏が名主となった牟礼の地を現在まで静かに護り続けている。

境内社は本殿後方に三峯神社・榛名神社の2社合殿が鎮座している。
小祠だが非常に存在感があるお社。


牟禮神明社 御朱印。初穂料300円。
境内参道右手にある授与所にて受けられるが、仏滅の日は対応を停止される。
禮は礼の旧字体。神紋と神璽のみのシンプルな構成がまたいい。