萩中神社(天祖神社)
概要
江戸時代後期に編さんされた新編武蔵風土記稿には、荏原郡萩中村鎮座の神明社として記されている。
境内社の東官守稲荷神社は羽田七福いなりめぐりの一番で、身体安全のご利益があるとされる。
御祭神 | 天照皇大神 相殿 豊受姫大神 |
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社格 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都大田区萩中1-5-18 |
最寄駅 | 京浜急行電鉄空港線 糀谷駅 |
URL | http://haginaka.hanedajinja.com/ |
御由緒
創建時期・由緒は不明。
新編武蔵風土記稿内では、荏原郡萩中村の項に神明社として記されている。
これによれば村の北西に鎮座し、この地が神明前と呼ばれていたこと、小さな社殿が現在と同じく南向きに建っていたことがわかる。
また別当寺ではなく、村が管理していた。
現在は萩中町会が護持し、羽田神社の神職が祭祀を兼務している。
境内紹介
糀谷駅から環八通りに出て右手(蒲田方向)の信号を横断し、二叉路の左側に入る。
そのまま200m強南に進むと、塀に囲まれた社地が見えてくる。
参道入り口はその先で右折したところにある。
社殿や諸施設の規模に比較すると、境内の面積は広め。
由緒に関する資料が極端に少ないのは風水害や空襲でそれらが失われたのであろう。
空襲被害からの復興、漁業の衰退など様々な苦労がある中、氏子の方々が守り抜いた鎮守社であることだけは確かだ。
東官守稲荷神社
萩中神社唯一の境内末社で、祭神は宇迦之御魂神。
当初は現在地より約500m西の旧萩中町7番地(現・七辻付近)に、東京湾に向け東向きに祀られていた。
住民は半農半漁の生活を営む人が多く、海上安全の守護神として崇敬していたという。
1917(大正6)年、東京湾台風の風水害により社殿が損壊し、萩中神社再建の際、境内に遷座した。
1945(昭和20)年4月、空襲により焼失したが、町民の努力により再建されている。
御朱印
萩中神社の御朱印は授与されていない。
境内社・東官守稲荷神社は羽田七福いなりめぐりの一社であり、正月の開催時期のみ、朱印が社務所にて受けられる。
初穂料100円。
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