磐井神社
概要
古墳時代の創建といわれ「日本三代実録」にもその名が見られる式内小社。
江戸時代には鈴森八幡宮と通称され、終戦時は郷社に列格していた。
御祭神 | 應神天皇・大己貴命・仲哀天皇・神功皇后・姫大神 |
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社格 | 延喜式内小社・旧郷社 |
鎮座地 | 東京都大田区大森北2-20-8 |
最寄駅 | 京浜急行電鉄本線 大森海岸駅 JR京浜東北線 大森駅 |
URL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/ota/5460 |
御由緒
古墳時代の573(敏達天皇2)年8月創建と伝わる。
平安時代の史書「日本三代実録」に859(貞観元)年「武蔵国従五位下磐井神社官社に列す」とあり、武州の総社八幡宮に定められたとの記載もある。
また、927(延長5)年編纂の「延喜式神名帳」内には、薭田神社とともに荏原郡の二座の小社のひとつとしてその名がある。
室町時代の永正年中(1504~1520年)には兵火により社殿が焼失、天文年中(1532~1555年)にも火災で焼失しており、以降江戸時代の寛文年中(1661~1672年)に再建されるまで、かなり荒廃した時期があったようである。
(※この間に徳川家康、家光が参拝した等の資料も存在するが、上記状況や参拝時期の整合性からみると疑問がある。)
なお、この頃には鈴森八幡宮、鈴森八幡、鈴森社等とも称されていたという。
1725(享保10)年には八代軍徳川吉宗の命により社殿および末社等の再造営が行われた。
戦前までの旧社格制度では、1934(昭和9)年に郷社指定を受けている。
1945(昭和20)年5月に空襲で再び社殿が焼失、1954(昭和29)年9月に再建された。
境内紹介
京急大森海岸駅から、川崎方向へ200mほど歩いた第一京浜沿いに鎮座している。
幹線道路や京急線、高層マンションなどに囲まれた社地の中、立派な御神木が存在感を放つ。
狛犬は1881(明治14)年の造立。
阿吽とも子沢山で微笑ましい。
向拝部の大きく突き出した軒唐破風が印象的な社殿。
扁額には「武蔵國八幡惣社」の文字。
磐井の井戸
社前の国道沿いには「磐井の井戸」という古井戸の跡がある。(大田区指定史跡)
社号の由来となったといわれ、この水を飲んだ際に、心正しければ清水、心邪ならば塩水、という伝承が伝わる。
もとはこの場所も社地だったが、国道の拡幅により境外地となった。
境内社
境内社は二社鎮座する。
一社は海豊稲荷神社(蒼稲魂命)。
もう一社は東海七福神の一社になっている笠島弁天社(弁財天)。
周囲を池に囲まれた島上に建つ。
やはり弁天様は水辺を設けて祀られているのが一番。
御朱印
磐井神社の御朱印は拝殿向かって左手の社務所(対応時間・9時~17時)にて受けられる。
初穂料300円。
月次祭が行われる朔日ならびに15日には月詣りの御朱印が出され、社殿の印判は毎月色が変えられる。
月替わりの御朱印
磐井神社では2017(平成29)年5月から月替わりの御朱印を始められた。
例大祭の御朱印
8月初週の週末には三日間に亘り例大祭が執り行われる。
出御を待つ宮神輿や獅子頭。
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