大森諏訪神社


御祭神:建御名方神
社格:旧村社
所在地:東京都大森西2-23-6
最寄駅:京浜急行電鉄本線 大森町駅・平和島駅
URL:—
御由緒:創建年代は不詳。
その昔大森海岸袖ヶ浦へ漂着した御神体を村民が尊崇し、一祠を建立したといわれる。
江戸初期の創建といわれているが、当地の古老の多くは鎌倉時代以前と伝えている。
また、当社にまつわる伝承として、境内に一匹の白蛇が住んでいたが、祭礼時に氏子が多数社参した折、知らずに白蛇の尾端を踏んだため、古来祭礼には必ず降雨ありと伝えられている。
旧大森村字山谷(現・大森東二丁目、大森西二丁目、大森西三丁目)の鎮守で、1936(昭和11)年村社に定められた。
1945(昭和20)年戦災により社殿を焼失、1947(昭和22)年に本殿が再建されている。
銅板葺権現造の現社殿が1957(昭和32)年に造営され、1964(昭和39)年には五百年祭が盛大に斎行された。
1979(昭和54)年には社務所を改築、1981(昭和56)年に神楽殿を造替、2004(平成16)年に社殿の修築も行われている。

京急大森町駅から徒歩600mほどの住宅街に鎮座する。
駅西側に伸びる大森町商店街の最初の曲がり角を右折し北へ向かい、内川を渡る。
区立開桜小学校を過ぎるところの十字路で左を向くと、奥に鳥居が見える。
社号標には村社の文字が残る。正式な社号は地名を冠さない「諏訪神社」である。
鳥居は1824(文政7)年9月吉日再建の刻。

当社の狛犬は一対。
正確な奉納時期が刻まれていないが、おそらく昭和17~18年頃と思われる。
この時期は招魂系(岡崎古代型)が各地で盛んに奉納されていたが、それとは一線を画す尻跳ねの構え型。

戦後早々に氏子が尽力し復興されたという社殿。
繊細な彫刻は、当時静岡県の職人に依頼して彫らせたものだという。
終戦後の経済的にもまだまだ再建途上の折に、細部の装飾にこだわりを見せているあたりに崇敬の篤さがうかがえる。
当社は長いこと専任の宮司・神職が不在だが、氏子が現在まで施設の拡充・修繕を行い護り続けてこられた。
祭祀の執行については大森貴舩神社の宮司を招いているそうだ。

宮守の方にお話を伺ったところ、付近には長野県から移住した人々の末裔が多く、当社が祀られたのもその流れではないかとのこと。
都内の諏訪系神社には珍しく、八坂刀賣命を祀る下社が末社として鎮座しているのも直系故か。
また大田区内には諏訪神社が他にも数社鎮座しているが、当社から信仰が広まった可能性もあるという。

末社は他に稲荷神社(宇迦之御魂命)が境内入口付近に鎮まる。



境外摂社・金山神社が当社南側、内川沿いの大森西2-23-13~15の一角に鎮座している。
古墳(中世の塚とも)上に小祠を設け金山彦大神を祀ったものと伝えられる。
墳跡もしくは塚らしき地形は現在確認できないものの、社地の大半はその周囲よりも数十センチ高くなっている。
1933(昭和8)年、当時の諏訪神社社掌によって碑文が記された「古墳由来碑」が境内に残されている。
社殿後方にある土蔵は長らく開かれておらず、なにが納められているかは全く不明だそう。
現在内部の調査が検討されているという。


大森諏訪神社 御朱印。初穂料300円。
参道右手の社務所にて受けられる。
社号は印判だが、諏訪大社宮司の揮毫によるもの。