三宿神社

2016年2月7日


御祭神:倉稲魂命
社格:旧無格社
URL:—
所在地:東京都世田谷区三宿2-27-6
最寄駅:京王電鉄井の頭線 池ノ上駅
東急田園都市線 三軒茶屋駅・池尻大橋駅
御由緒:もともと三宿の地には神社がなく、現社地には世田谷村勝国寺の末寺で清水山天王院多聞寺という寺があった。
本尊は毘沙門天で、毘沙門堂に像が安置され、境内には稲荷社が祀られていたことが新編武蔵風土記稿に記されている。
同寺は幕末に廃寺となり、境内は村の共有地になっていたという。
明治維新後、政府により国家神道政策が進められる中で、旧三宿村にも神社が創建される運びとなった。
そこで多聞寺境内の毘沙門堂が本殿に転用され、毘沙門天像を御神体として拝殿や鳥居も新たに造営、神社の体裁が整えられた。
当時、祠官および氏子総代四名が連名で東京府に提出した報告書が現存するが、祭神を毘沙門天と記載していたのを大物主神と訂正されている。
この文書から、新政府により強引に神道国教化政策が推し進められていた痕跡をうかがい知ることができる。
なお、後に御祭神は現在の倉稲魂命に改められたが、氏子からは「毘沙門天さま」などと呼ばれていたという。
1923(大正12)年には大人神輿が製作されているが、本来その年9月の祭礼にあわせ浅草の神輿店から納められることになっていた。
しかし、完成の連絡を受けてただちに受け取りに出向いたことから、関東大震災での被災をまぬがれたという。
この神輿は1945(昭和20)年5月の空襲も免れた縁起の良い神輿とされている。
1932(昭和7)年造の旧社殿は空襲で焼失したが、毘沙門天像は持ち出されたため無事で、現在も祀られているという。
また、神楽殿も一部被災したものの消火が間に合ったため、現存している。
町会で管理されている無人社であり、祭祀については松陰神社から神職を招いて行われる。
例祭は毎年9月22・23日に行われる。
したがって、付近では池尻稲荷神社の20日・21日から4日間お祭りが続く。

最寄の3駅からは1km強離れた、閑静な住宅街に鎮座している。
烏山川緑道脇の丘陵の斜面にあり、背後には三宿の森緑地が広がる。
池尻大橋駅北口から烏山川緑道がすぐそばなのでこれをたどるとよいだろう。
三軒茶屋駅からであれば、茶沢通りから烏山川緑道づたいに。
池ノ上駅からは駅出口を左に出て淡島通りへ向かい、淡島交差点から多聞小学校の脇を南に抜けるルートがわかりやすい。

三宿は戦後早い段階から宅地化が進み、世田谷区内で最も緑被率が低い地域とされる。
かつては国の計画により、このわずかな緑さえも失われる危機があったという。
しかし住民運動の結果、国から世田谷区が買い取り公園化されたという経緯がある。


現社殿は郊外の軍需工場にあった神社の社殿を譲り受け、1949(昭和24)年に移築されたものである。
1967(昭和42)年には拝殿も新築された。
平成に入ってからも境内施設の整備がたびたび行われており、2006(平成18)年には玉垣とともに毘沙門天の標柱が建立された。


社殿向かって左手に境内社の稲荷神社が鎮座している。
前述したように、多聞寺の頃から稲荷社が祀られていたというが、この社がそれを継承しているについてかは不明だという。

神社としての歴史は浅く、通常は無人のため御朱印の授与はない。例祭時などでも特別の対応はされていない。
しかしながら、社地のもつ空気感はすばらしい。
また、神輿や毘沙門像の不思議なエピソード、三宿の人々が勝ち取り手厚く保護している社叢を含めた緑など、様々な魅力をもった神社である。