宮益御嶽神社

2014年3月5日


御祭神:日本武尊・秋葉の神(火之迦具土神)・大国主命・菅原の神(菅原道真)
社格:旧無格社
URL:http://www.shibuyamiyamasu.jp/mitake/main.html
所在地:東京都渋谷区渋谷1-12-16
最寄駅:JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン 渋谷駅
東急田園都市線・東横線 渋谷駅
京王電鉄井の頭線 渋谷駅
東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線 渋谷駅
御由緒:宮益御嶽神社は大和国吉野郡金峰神社の分祭社で、室町初期の創建とされる。
元亀年間(1570~72)に甲府武田家の陪臣・石田勘解由茂昌という武士が所持していた尊像を合祀したという。
その後子孫の石田茂兵衛が当所に居住し、婿である太郎兵衛が尊像を護持、この太郎兵衛は1681(延宝9)年、不動尊石像・庚申石像、勢至菩薩石像を建立した。
現在境内にある不動尊石像は、古くから「炙り不動」と呼ばれ、苦しみや疫病を香煙で炙り出すと伝えられる。
また商人・金融関係者がお札を炙り売買に富を増やす「札炙り不動」としても人気があり、信仰篤い不動尊となっている。
1700(元禄13)年、この一帯の町名が千代田稲荷(現在の御嶽神社)の御岳権現にあやかり「宮益町」と改称された。
なお、昭和に入っても当社の後方一帯を美竹町と称する時期があったが、これも社名に由来しており、当社が地域の氏神、鎮守として篤く敬われていたのが伺い知れる。
1870(明治3)年4月17日、駒場野練兵場で行われた国内初の観兵式統覧のため、明治天皇が行幸した際、御往復とも御召替のため御小休所となった。
のちの1937(昭和12)年6月文部省より聖蹟に指定され、標識ならびに注意札が設置されている。
1945(昭和20)年5月の空襲により社殿・社務所・神楽殿・御神輿・獅子頭等を焼失、戦後崇敬会が組織され仮社殿で維持されていたが、1980(昭和55)年4月、渋谷区商工会館併設による社殿が再建された。

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宮益坂を登る途中、渋谷郵便局に差し掛かる手前に一の鳥居がある。
長い階段を登ると二の鳥居、その左手に手水舎、続いて三の鳥居と、小規模な神社だが鳥居が多い。

手水舎のそばに明治天皇御小休所阯の碑が建つ。
そのほか、社殿向かって左手奥にも句碑、日露戦争戦没祈念の砲弾石像などが置かれている。

全国的にも珍しいという、日本狼の狛犬像。
こちらは複製で、延宝年間(1673~1681年)に造立されたというブロンズ製の実物は社務所内入口付近に保管されている。


境内地下は渋谷商工会館の駐車場になっているが、場内にはしめ縄の巻かれた柱がある。
社殿とは位置がずれているので、社殿自体の構造体というわけではなさそう。
どのような意味を持つのか興味深い。

境内社として明治天皇御小休所阯碑の隣に炙り不動尊堂。
線香も常時用意されているので、参拝の際にはぜひ手持ちのお札を炙ってみては。

宮益御嶽神社 御朱印。初穂料300円。
拝殿に向かって左手の授与所でいただくのだが、基本的に平日のみ、酉の市以外はすべて書き置きでの対応である。
インターホンを押すと反対側のビルにある社務所から職員の方が出てこられ、いただいた。

宮益御嶽神社 酉の市 御朱印。
酉の市の際は授与所ではなく拝殿脇に待機されている神職さんに申し出る。
墨書きに酉の市限定判付きか、お犬様の押判で日付以外全てスタンプ形式の二種類が選べる。
お犬様の押判つきのものは拝受前に申し出が必要(日付以外全てスタンプ形式)。

2015(平成27)年以降はお犬様の押判つきのみの授与となっている。