市谷亀岡八幡宮・茶ノ木稲荷神社
概要
太田道灌が江戸城西方の守護として鶴岡八幡宮を勧請し創建したのちに茶ノ木稲荷が鎮座していた現社地に遷されている。
ペットの諸祈願を行う神社として有名。
御祭神 | 誉田別命(應神天皇)・気長足姫尊(神功皇后)・與登比売神 |
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社格 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都新宿区市谷八幡町15番地 |
最寄駅 | JR中央・総武線 市ケ谷駅 東京メトロ有楽町線・南北線 市ケ谷駅 都営地下鉄新宿線 市ヶ谷駅 |
URL | http://www.ichigayahachiman.or.jp/ |
御由緒
1479(文明11)年、太田道灌が江戸城西方の守護神として、鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが市谷亀岡八幡宮の始まりである。
社号の亀岡は鶴岡に対して名付けられたという。
天正年間(1573~1593年)、戦乱により当社は破壊され荒廃してしまうが、慶長年間(1596~1615年)に入り別当・源空少僧都により再建された。
さらに1636(寛永13)年の江戸城外濠の完成後、茶ノ木稲荷が鎮座していた現在地に遷座する。
この頃から、三代将軍家光や側室・桂昌院らより援助を受け隆盛し、大火に被災するなどしながらも、付近一帯は門前町として幕末まで賑わいを見せた。
1945(昭和20)年5月の空襲により再び社殿等を焼失、1962(昭和37)年に現社殿が再建されている。
境内紹介
メトロ各線および都営新宿線の7番出口を出ると外堀通りの向こうに参道が見える。
「市谷八幡町」「市谷見附」いずれかの横断歩道を渡り、奥のちょっと長めの石段を登って境内へ。
JRの場合は皇居外濠を渡って、外堀通りの「市谷見附」交差点を横断、左に少し歩けば参道入口にいたる。
石段の最上部では新宿区唯一現存の銅鳥居が迎えてくれる。
この鳥居は1804(文化元)年の建立という古いもので、御鋳物師の家系・西村和泉家五代目当主・西村和泉藤原政平によって製作された。
なお、千代田区の平河天満宮には八代目・西村和泉藤原政時が製作した鳥居が現存する。
石段を登り切ると広い境内がそこに。冬には紅白の梅が咲き、春には桜、秋には御神木の大銀杏が黄金色に色づくなど季節感が見事である。
市谷亀岡八幡宮の阿さんと吽さんは鳥居と同じ1804(文化元)年奉納。
市谷亀岡八幡宮の社殿は、都内ではあまり見かけない八幡造。
拝殿そばには新宿区指定有形民俗文化財となっている力石が7つ。
境内社
境内社の金刀比羅宮と出世稲荷神社。
金刀比羅宮は石段を登る途中の左手に、出世稲荷は鳥居をくぐったすぐ右に鎮座している。
摂社・茶ノ木稲荷神社
摂社の茶ノ木稲荷神社の入口も石段の中腹に。
御祭神:稲荷大神・保食神
弘法大師が関東下向の際に開山したとされる。
かつて当地一帯は「稲荷山」と称され、茶ノ木稲荷を地主神、主神としてこの丘には多くの稲荷社が存在したという。
旧幕時代においては、江戸の市中だけではなく遠方の武家・諸商諸工からも崇敬を受け、とりわけ病気平癒・眼病平癒の霊験があらたかであったと伝えられている。
一摂社というよりも小規模な神社の体を成して現存しているのは、やはりその御神威故であろうか。
御朱印
市谷亀岡八幡宮と茶ノ木稲荷神社の御朱印。初穂料は各300円。
鳥居をくぐってすぐ右、出世稲荷神社の横に社務所がある。
よくある社務所授与所のような窓口形式ではなく、御朱印の見本が貼られたドアを開け中に入って申し出る。
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