牛嶋神社

2014年11月27日


御祭神:須佐之男命・天之穂日命・貞辰親王命
社格:旧郷社
URL:http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/13_sumida/13001.html
所在地:東京都墨田区向島1-4-5
最寄駅:都営地下鉄浅草線 本所吾妻橋駅
東武鉄道伊勢崎線 とうきょうスカイツリー駅
御由緒:860(貞観2)年、慈覚大師(円仁)が素盞嗚尊の権化である老翁に会い「国土悩乱あらはれ首に牛頭を戴き悪魔降伏の形相を現し国家を守護せんとす。故に我形を写して汝に与へん我ために一宇を造立せよ」という御神託を受け創建した。
旧社地は本所区向島須崎町七十八番地(現・墨田区向島5-4-4の長命寺付近)であったとされる。
この後に天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子・貞辰親王が当地で薨去した際、慈覚大師の弟子・良本阿闇梨がその神霊を相殿に祀り王子権現と称された。
1180(治承4)年9月、安房国に退却していた源頼朝が再挙の際、東国武士ら大軍を率い下総国から武蔵国に進軍していた時、隅田川で豪雨による洪水のために足止めを余儀なくされた。
武将・千葉介平常胤が祈願したところ、全軍無事に渡ることができたという。
頼朝はその神徳に感謝し、1181(養和元)年に社殿を造営、千葉介平常胤に命じて多くの神領を寄進させた。
1538(天文7)年には後奈良天皇より「牛御前社」という勅号を賜わったといわれる。
江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬が篤く、三代将軍・家光は本所石原に社地を寄進して祭礼神輿渡御の御旅所としたという。
旧若宮町(現・本所2-2-10)の摂社若宮牛嶋神社がこれである。
明治維新前は本所表町にあった最勝寺(目黄不動・江戸川区平井1-25-32)がその別当寺であったが、神仏分離令後、社号を牛嶋神社と改称し郷社に列した。
1923(大正12)年の関東大震災で社殿等が被災炎上、その後の帝都復興計画で隅田公園が設置されたのに伴い、その隣地である現在地(旧水戸徳川邸跡)に遷座、1932(昭和7)年に現在の社殿が完成している。


最寄りは本所吾妻橋駅かとうきょうスカイツリー駅。どちらも距離に差はない。
隅田公園を目指し、徒歩6~7分ほど。なお各線浅草駅や押上駅からも10分圏内である。
三ッ目通り沿いに大鳥居が建っており、ここから真っ直ぐ公園方向へ進むと二の鳥居。
公園側から入ってくる西側の参道もあり、こちらには社号碑がある。


包丁塚、多くの石造物や力石などを眺めつつ、境内へ至るとまずは一対めの狛犬。


そして神楽殿、手水舎、撫で牛なども。天神系ではない撫で牛は大変珍しい。
拝殿前には袖鳥居のついた立派な三輪鳥居(三ッ鳥居とも)。
三輪鳥居を見るたび、他の形式の鳥居よりも神聖さを感じる。




社殿は木製の瑞垣に囲われており、その垣内には三対の狛犬、そして狛牛も。

境内社は一社、小梅稲荷神社(宇迦之御魂神)が鎮座する。
元は旧向島小梅町にあったという。
社号が風流、というか可愛らしい。

次ページでは摂社若宮牛嶋神社について紹介する。


牛嶋神社 御朱印。初穂料300円。
拝殿脇に設営されたテント内授与所にて拝受。
隅田公園の景観も素晴らしく、参拝を勧めたい一社である。